この自己紹介はベルばら、オル窓に関して語ることで“雪”という人物の断片を判断していただくものです。
要は思いの丈を熱く語りてぇ! ということですので、お暇な方はお付き合いください。(ネタばれ注意!!) 


→     


―4―

 私は推理小説が好きである。

 基本的にミステリファンというものは救いがたい人種が多い。
 スキー旅行に行った時、皆が楽しく過ごしていても一人「ここ閉ざされた雪の山荘にならないかな」とワクワクするのがミステリファンである。
 バラバラ死体が発見されると、右手と左手は別人のものであると考えるのがミステリファンである。
 Aさんの首なし死体が出てくると、犯人はAさんと思うのがミステリファンである。
 意匠を凝らした屋敷(洋館であるのが望ましい)を見たとき、建築家は中村青司であると思うのが偏ったミステリファンである。

 このように救いがたい思考回路を持つミステリファンにとってオル窓は格好の標的なのである。伝統ある古い街並、旧家の醜聞、過去の怨念……舞台がドイツでなく岡山県なら金田一耕介先生の出番だ。
「オルフェウスの窓」の伏線の貼り方やサスペンス調の展開・画面構成は、ミステリ好きである私をゾクゾクさせるのである。

『でもそれって、第1部だけでしょう?』

 ところがどっこい、そこがオル窓のすごいところなのだ。第1部は出会いと別れ、第2部はイザークピアノ一代記+ユリウスとの再会、第3部はユリウスとアレクセイの悲劇、第4部は主人公ユリウスの向かえる結末……確かに恋愛物語としてはそうなのだ。ミステリなのは第1部だけで第4部は辻褄合わせっぽく見える。

 これが池田理代子氏のミスリーディングの手法なのだ!
(ミスリーディング:読者を筆者の用意した結論とは誤った方向へ導くこと)

 救いがたく偏ったミステリ観点からオル窓を見ると、この4部構成そのものが読者を騙すトリックだ。第1部の最後で校長先生の告白のあと、2段構えでアネロッテの悪事が明かされる。ここで読者は黒幕が消えたと安心する。そして第2部第3部と嵐のような運命に巻き込まれる登場人物達に惹き込まれる。この時点で、上着だけを残して姿を消したヤーコプの存在は読者の頭から消えてしまうのだ。死体が発見されてても実は生きていた! というとんでもない世界の本を常読している人間でもこれにはコロッと騙された。おまけにヤーコプの上着が運河で見つかった云々というシーンはたった1コマ程度だ。まさかまさか、この男が真のラスボスとして存在するなんて……。

 つまり、ミステリ的に見ると。
 第1部、事件の発端と解決(しかし最後の伏線を残す)。第2部・第3部、全てヤーコプから目を逸らさせる為だけの物語。第4部、解決編。
 イザークの栄光と挫折もただのミスディレクション! あの天地が裂けんばかりの愛もただのミスリーディング!!
 視点を変えた瞬間に「オルフェウスの窓」は全く違うストーリーになるのだ。ああ、この世界の揺らぎ感! 逆転のカタストロフィ!

 うふふふふ、ゾクゾク(←救いがたい)

――続く




HOME