この自己紹介はベルばら、オル窓に関して語ることで“雪”という人物の断片を判断していただくものです。
要は思いの丈を熱く語りてぇ! ということですので、お暇な方はお付き合いください。(ネタばれ注意!!) 


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 前回に引き続き、好きなものを語ろう。今回は熱の入り方がかなり強いので、ご注意をば。

 さぁ語るぜ、“「ベルばら」のここが好き!”
 幅広いメディア展開の「ベルばら」なのでそれぞれ取り上げる。

 まずはこれを差し置いては何も語れまい! 『原作』!!
 好きなシーンは数え切れないほどあるし、好きな台詞もたっっっくさんある。しかし、ベルばら中の名言をあえて一つだけ選びなさいといわれたら、私はオスカルのこの台詞を選ぶ。

「アンドレ、この戦闘がおわったら結婚式だ」

 深い! 深いよ!
 このたったヒトコマの言葉の中には、貴族を捨て、王家を捨て、自由な人民となったオスカルの全てが込められていると思う。啓蒙思想と市民革命によって今まさに扉の開けられた“近代”そのものの言葉なのだ。結婚の自由は絶対王政社会には無いのだから。だからこそこの言葉は重い。そしてそれを当たり前の事のように囁くオスカルはカッコイイ。既存の概念を打ち壊す言葉を、さらりと言ってしまう辺りが堪らなくハンサムだ。
 と、色々理屈をつけるのも良いのだが……実際に読んでいるとそんなものはどこかへ行ってしまう。泣くよ! 泣いちゃうよ! だってオスカルとアンドレが結婚式が挙げられないのは、もう何遍も読んでとっくに知っているんだもん。
 私の「ベルばら一の名言」は潔くて悲しいこの台詞なのだ。

 続いて『宝塚』
 一番好きなシーンは? の問いには「OA編ならガラスの馬車、AF編ならベルナールが『カペー未亡人!!』って叫ぶところ」と答える。
 やはりお芝居はラストシーンが一番だ。
 OA大好きな私だが、宝塚に関しては『フェルゼンとマリー・アントワネット編』の方が好きだ。ガラスの馬車で泣かなくても、牢獄のシーンでは必ず泣いてしまう。牢獄のシーンは、台詞回しから色彩から、それまでの派手さが全部削ぎ落とされていて非常に好みなのだ。
 凛とした姿で断頭台に赴く王妃は美しい。
 むしろ牢獄のシーンだけが、OA編より好き。牢獄のシーンがあるからこそOA編より泣く。お芝居全体ではOA編の方が遥かに面白い。話全体の流れを見ると、AF編にバスティーユとか今宵一夜とか必要ない! と感じてしまう。極端なことを言えばオスカルアンドレすら要らない(そのせいでフェルゼンと王妃の恋路がぼやけているもの)。……しかしなぁ。OAが出てこないんじゃ『ベルサイユのばら』ってタイトルが付けられないじゃんねぇ。

 さて、お次は『アニメ』。
 ……ごめんなさい、ごめんなさい。アニメ版では自分内主役はジャンヌとニコラスです。
 ジャンヌはカッコイイ! 流石首飾り事件の首謀者だ。(最近やっと『マリーアントワネットの首飾り』を観た。ヒラリー・スワンク好かった)
 初めてアニばらを見たのは小学3年か4年だったが、ジャンヌとニコラスが死ぬシーンでは涙滂沱。アンドレが死んでもオスカルが死んでも泣かない小学生の涙腺は壊れた蛇口のようだった。ハマリ直した後、もう一度全巻通してアニばらを見たが、やはり同じシーンで涙滂沱。
「寂しいから一緒に死んで」と語りかけるジャンヌもさることながら、「お前……本当にイイ女だったぜ」と最期の最期に答えるニコラスの粋なこと! 自分を刺した女にそういう台詞を言えるなんて、よっぽど愛していなきゃ無理だろう。
 殺してもいいくらい、殺されてもいいくらい、そして一緒に死んでも構わないくらい。二人は永遠の共犯者なのだ。

『映画版』……観ていないのでノーコメント。
『小説版』……アンドレがオスカルのことを「君」と呼んでいた時点で手が止まった。読めない。読み通すのは苦行。よってノーコメント。

 原作・宝塚・アニメに共通する私の好きなシーンは、「潔さ」を感じるシーンだ。オスカル、アントワネット、ジャンヌ……女性キャラクターの示す潔さが私のツボなのだ。

――続く




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