桃の香り、光の春



――5――

『これでも生前は六本木の“トラウム”でNo.1張ってたのよ』

 とそいつは自己主張の強い胸を突き出した。肩を出し、胸元までギリギリに開いた服は、そのポーズを余計に攻撃的に見せた。

 生前、という言葉に目眩がいや増した。軽い口調で喋っているこの女は死んでいる自覚があるらしい。
『えっとぉ……戸川君は、コーコーセー? じゃあ“トラウム”なんて知らないわよねー。第一もう潰れちゃったし』
 知るもんか、そんな店。どうせ泡と一緒にパチンと消えたんだろ?
 目の前の幽霊の、幽霊にあるまじき格好を目の端で捉える。“トラウム”のNo.1だった女は、白い死に装束に三角の布をつけているわけでもなく、安っぽい金ボタンが光るピンクのボディコンスーツに身を包んでいる。ぎりっと絞った腰の辺りには、ボタンと同じようなピカピカのチャンピオン……もとい、チェーンベルト。
『超高級なクラブだったのよ。女の子のレベルだって六本木じゃ最高って評判でぇー、ま、アタシを見ればわかると思うけど』
 手を腰に当ててふんぞり返る幽霊。ボディコンの例に漏れず、膝上二十cmミニスカートから長く伸びた足には殺人の凶器になりそうなピンヒールがはまっている。
 そう、この非常識な幽霊には、非常識なことに足があるのだ!
『ふふん。神様がこの脚線美をわざわざ残しててくれたのよ』
 と僕の視線に気が付いた幽霊はさりげなく立ち姿を変えた。足をT字型に揃えて、モデルだかコンパニオンみたいに。根拠のわからない自信に満ちた微笑みまでモデルのようだ。……昼間に壁から出てきたときの不気味な笑いと比べて、それほどの恐怖は湧かなくなってきた。慣れたのだろうか? この異常に慣れるのもおかしいが、何しろこの幽霊はよく笑う。
『そーそー、昼間はゴメンネ。綺麗な音だったから、ちょっと寄ってみたの。まさか見えるなんて思わないもんだからさぁ』
 再び恐怖が湧出。なんてタイミングだ。
「あ…なた、僕の思考を読めるのか?」
『はぁ!? そんなわけないじゃん。だったらもっと楽だわ』
 驚いた。ただ単に話題転換と僕の考えが偶然一致しただけらしい。
『あのねぇ、幽霊って映画みたいに色々できる訳じゃないのよ。アタシも死んでから知ったんだけど、物の一つも動かせないし、誰かに乗り移ることすらできないのよ。頭の中なんて読めるわけないじゃん』
 そういうものなのか。僕は死んでないから分からないけれど、どうやらポルターガイストが起きる心配はないようだ。僕は恐る恐る尋ねた。
「ピアノに引かれて立ち寄ったってことは……あなたは、通り掛かりの浮遊霊、ということですね。僕に恨みがあるとか、そういうのじゃなく」
 幽霊に通り掛かりも何もあったものではないが、うらめしや、なんて言われたくない。

『失礼ね。魂の所在がハッキリしてないって言ってちょーだい』

 唇を尖らせて、幽霊は嘯いた。

 所在不定の非常識な魂は、結局……朝になって光と共に掻き消えるということはなかった。それはそうだ。最初にこいつを見たのは真っ昼間だった。朝日が昇っても幽霊は僕の部屋でけらけら笑いながら一方的にお喋りをしていた。当然僕は一睡もできていない。いや、眠れるわけもないのだが。
「あの。僕そろそろ学校へ……」
『完徹じゃない。眠くないの?』
「眠いよ、充分に」
 一晩も付き合って、僕の中の恐怖心はほとんど消えた。話してみればただの能天気な女だ。半透明だけど。
 学校なんてどーでもいーじゃん、などと言っている幽霊を無視して上着に袖を通し、眼鏡をかけて階下に降りようとした時
『つまんないなぁ、アタシも付いていっちゃおうかな』
 と、とんでもない呟きが耳に入った。
「なっ……やめてくれよ!」
 勢いこんで振り返った僕の部屋の中には……

 幽霊はすでにいなかった。




え、ま、今回はこんな感じで。
話が進んで無い?……え、ま、今回はこんな感じで……。



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