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  15:00の天使

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 15:00。目の前に天使がいた。
 その天使は鐘の音を鳴らして喫茶店に入ってきた。店内のお喋りが一瞬だけ遠のく。
 天使降臨の直前、佳仲澄春(かなか すみはる)はトランプをしていた三人の姉達のお喋りを思い出していた。
 ……すみはる、映画?前に遊びに来たあの子ね。デート?
 晶は男だっての。
 ……あの子のお芝居見たことあるよ。とーま君だっけ。すっごい美少年。
 たしかにそうですが、苗字が藤間で名前は日が三つ、水晶のアキラです。
 ……ねね、あの子とどれくらいつきあってんの。
「なんでそんなこと考えんだよ」
 そして三人そろって言ったのだ。
「「「だって、あの子可愛いんだモーん」」」
 まったく。いくら可愛いって言っても男同士で映画見るだけだ。弟を変態にするつもりか。でも、実際のところ男二人って色気はないよな。俺だって、いつか理想の女の子と二人で。
 そう思っていた。しかし、その理想は顕在化した。その天使は白い羽衣の様にゆったりとしたワンピースを身にまとっていた。天窓から落ちる光の中を天使が近づいてきても、澄春は自分に向かってきているとは思えなかった。

「お待たせ」
「え?ええっ」
 澄春はにこやかに笑いかける天使に絶句した。なぜなら、天使が急に藤間晶になったから。澄春の友達で、男であるはずの藤間晶に。
 晶はそのまま何気なく腰を下ろして、
「アイスティー」
と注文をした。いつもより高い声がリリカルに響く。澄春は口を鯉の如く開け閉めした。
「おま、おま、おま、おま」
(お前なに考えてるんだ)
 と言いたいのに言葉にならない。
「しぃーっ。澄、なにも言わないで。ほら、笑って笑って」
と言いながら笑顔を作る。澄春は思わず微笑み返してしまった。そして、つい、見惚れてしまった。光る髪は天使が頭上に掲げる輪のよう。吸い込まれるような瞳の輝き。小ぶりな鼻。かわいらしい唇。アイドル雑誌の表紙でも見られないレベルだ。
「……澄、聞いてる?」
「へ?」
「ちゃんと聞いててよ。だから、今朝起きたら、僕の服が全部消えてたんだよ」
「は?」
「ご丁寧に靴まで」
「ほうほう」
「きっとまた父様が……」
「わかった。芝居の稽古をさせる為ってワケだ。家には稽古に必要な物しかなくなる。もちろん着る物も。それで晶はそういう格好しか出来なかったと」
 ていうより変わってるよ。と言いたいところだったが呑みこんだ。さすがに人の家の親父さんを悪く言うのは気がひけた。
「いつも強引なんだ。今日もいきなりだし。外出できるような状況じゃないけど断れば澄にだって悪いし、僕だって映画見たいし」
「それで?今度の舞台は天使の役でもやるのか?」
「……そうじゃないけど。見りゃわかるでしょ。女の子だよ」
 少し涙ぐんだ目でこちらを睨む。落ち着け、俺。晶は男だ。男だ。男だ。
「ま、まあ、晶だったら演技してりゃばれないよ。そうしてるとほんとかわ……」
 あ、危ない。理性よありがとう。俺は何を口走ろうとしてるんだ。可愛いってのは女の子に対して使うんであって、いや待てよそれは偏見か?現にこいつは可愛いわけだし……。でも天使って、性がないんじゃなかったっけ。あー、もう。
「と、とにかく。映画、さっさと見ちまおう」
 澄春はすくっと立ちあがると、足音が響くのもかまわずに席を離れた。
「あ,ちょ……ちょっと、まって」
 晶は地声を出しかけて、トーンを調整したようだった。歌声みたいだと、澄春は思った。

 しかし参ったな。なんでこの映画館はカップルばかりなんだ。
 映画館の暗がりの中、澄春は心の中でつぶやいた。
 これじゃまるで俺達もデートじゃんか。姉ちゃんたちが言っていたことがまさか本当になるとは……。いやそれよりも、女装した晶がこんなに可愛いとは(姉ちゃん達とは比べ物にならない)。
「きゃっ!」
 澄春の隣りで晶が悲鳴を上げた。しがみつかれた左腕に重さと暖かさが加わる。
(そうか、こういうことか)
 澄春は吸血鬼系ホラー映画をデートコースに選ぶ男の気持ちがよくわかった。確かに、なんというか、肩でも抱きたくなる……。だから俺達は男同士だってば!
 澄春は画面に集中しようとした。吸血鬼の大群、教会に追い詰められる尼僧。そしてふいに画面いっぱいの吸血鬼!
「きゃあ!」
 晶の悲鳴が現実に引き戻す。澄春は晶を見た。叫ぶ声には裏声も地声もないようで、晶はごく自然に鑑賞していた。フィルムの光に照らされた晶は太陽の下で見るときよりも可憐だった。おびえる表情。細い眉がか弱く見える。天使を連想したのは服の白さだけではない、肌が透き通るように白いのだ。
「あっ、あっ。やだぁ」
 澄春は無理矢理、視線を映画に戻した。尼僧が断末魔を迎えるところだ。見上げる十字架は彼女を作ってくれそうもない。尼僧は真っ直ぐに彼女の信仰の対象に手を伸ばして訴えた。主よお助けください。俺もお助けください、このままじゃ、天使を抱きしめてしまいます……。
 ため息とともに晶を見ると、晶もじっと澄春を見ていた。画面の青い光が晶の瞳に溶けこむ。まるで映画の中の尼僧の眼差しだった。
 スクリーンの蒼さが晶の頬を照らす中、見詰め合った。晶の顔が、そっと動いた。澄春はゆっくりと向かってくる晶を見つめたまま動けなくなった。小さな唇が動いた。
「助けて……。澄、隣の人……」
 澄春は晶の訴えがわからなかった。戸惑っていると、晶が泣き出しそうな顔になった。澄春は視界の端に、蠢くものを捕えた。スカートの上をもぞもぞとなにかが這っている。巨大な蜘蛛のようなそれには、足が五本しかなかった。人の手だ。
 プチン。晶の言葉を理解すると同時に、騎士たる澄春は行動に移った。
 右手で晶を引き寄せ、その頭越しに左拳を思いっきり突き出した。
「この痴漢ヤロオっ!」
「ぐげっ」
 どさっ。
 妙なうめき声とともに通路に人が落ちた。痴漢の手は当然晶の膝の上から離れた。
「ひい、ひい」
 鼻がつぶれたような声が通路を這いずって消えていった。
 中腰になって晶を抱いた澄春を中心にざわめきが波紋を広げていく。
「いくぞ」
「え、あ」
 右手で晶の手を掴んだまま、澄春は明かりを求めて暗がりを脱出した。

 映画館の外へ出てしばらく歩いたところに公園があった。
「ねえちょっと、どこまで行くの?」
 引かれるままにしていた晶は澄春に訊いた。
「一休みしようよ」
 晶は軽やかに言うと、澄春の手を離れてブランコに駆け寄った。黒い鎖に白い手を絡める。腰掛けると、スカートが空気を孕む。白い羽を悲しげに畳んだ天使は澄春の方を見なかった。
 澄春の頭にはまだ血が上っていた。晶の腿に載った手を見たとき、一緒に白い膝も見えた。痴漢に、どこまで変なことされたんだ?あいつは、どんなことをしたんだ?俺は、俺は。
 澄春は自分でも何を考えてるのか理解不能だった。
 晶は澄春を見ないまま言った。
「澄が空手の有段者ってのはよくわかったけど、乱暴は良くないよ」
 澄春はさらに耳が熱くなるのを感じた。
「そ、りゃそうだけどあいつのほうがわるいじゃないかだいたいなあ、なんか、スッゲーむかついたんだよ、おれがいるのに……」
 最初の”そ”が思いがけず大きな声になった。驚いたように澄春を見上げる晶の瞳がすくんでいた。叱られた子猫のような目に、澄春の言葉は掠れて停まった。
「俺が居るのに?」
 晶の瞳がいつまにか問いかけの光を放っていた。
「なんでもない」
 澄春はふい、と横を向いた。まだ日が高い。木陰が揺れてる。晶を見ることが出来なかった。触らせてしまった、自分が情けなかった。同時に、守りたがっていることに気がついた。そして、痴漢に、嫉妬していた。晶に触ったやつが許せなかった。最後に、それは好きな子に対して抱く感情じゃないか、と自分を疑い始めていた。いっぺんに、思考が滝壷にはまった。澄春は爪を噛んだ。
 枝の擦れ合う音が、晶の足音を消した。澄春が気づいたとき、背中から抱きしめられていた。
「ごめんね」
 耳の後ろから晶の声が髪の間をすり抜けてきた。背伸びをしているのかもしれない。
「な、なんでお前があやまんだよ」
「だって、澄、怒ってるだろ?いらいらしてるとき、つめ、噛んでるもん。僕が、映画見るのにこだわらなければ良かったんだよね」
 声が澄春の頬と心をくすぐった。頭の芯が火照る。
「馬鹿、違うよ。俺が居たのに、あんなやつに。本当は俺があやまんなきゃ、いけないんだよ。映画、最後まで見られなかったから」
 やっと、それだけ言った。晶の腕が、ほどかれて、両掌が澄春の腕を下に伝っていった。そっ、と澄春の両手を背後から握る格好になる。肩甲骨の間に、晶の額が触れる感触があった。
「ありがと」
「おう」
 どーすりゃいいんだ。他の奴が見たらいちゃついてるカップルにしかみえんぞ、漫画とかだとこういうときどうしたっけ、えーと、えーと。そう、まごまごしていて知り合いが通りかかったりする!
 公園の反対側の入り口から、見まごう事なく何人かのクラスメートが入ってきた。
(見られちゃまずい!)
 澄春がそう思ったのは羞恥心からか、独占欲か、神のみぞ知るところだろう。
 右手は広場、左手は、さっき見た木陰。とっさに晶の手を引いて、木陰へ植え込みをかき分けた。太い幹の影に隠れる。太いとは言っても二人分の幅はない。澄春はごく自然に晶を抱きしめて、背中を幹に押しつけた。
 三秒後、後悔した。
 これじゃまともに魔が差しちまう。それともマリア様のお導きなのか?翼を抱きしめたかのように柔らかな感触。目の前には涙を潤ませた可愛い瞳。驚いて半開きになった小さい唇。上気した頬。密着した部分から感じる体温と心音。いくつもの条件が、人類普遍の愛情表現を達成するために充たされた。
 そして最後の条件、天使の瞼が、ゆっくりと閉じられた。

 鳩の群れが飛んだ。

「あれぇ。今ここに佳仲いなかった?」
「俺、見てねえよ。気のせいじゃねえ」
「そうかなあ」
 澄春は羽ばたきと足音と話し声が小さくなっていくのを聞いた。目と唇は閉じたままでも、耳は閉じられていなかったから。
 物音一つしなくなってから、二人は木陰から出てきた。空を仰ぐ、あたりを見まわす、地面に視線を落とす。
 先に口を開いたのは晶だった。白い頬を紅く染めている。うつむいたまま言った。
「えーと、守ってくれた御礼、という事で」
 澄春は、突き抜ける空を見ながら、答えた。
「おう……結構、柔らかいんだな」
「え?」
「聞こえなかったんならいい。帰ろうぜ。また誰か来るかも」
 澄春は歩き始めた。すぐあとを晶が歩く。
「なに?教えてよ」
 晶が澄春の手を取る。お互いが握り返す。そのまま歩いた。そのまま、柔らかく結ばれまま。

                                ――――――結




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1500記念に頂きました!アイコ様の描く“Boy's Love”の世界!
呟きの「燃え上がる恋の炎……そして」を読んで書いてくださったそうです。
あああああ。お約束てんこ盛りの赤面モノぉぉぉぉ!

……………アイコ様、どこでお勉強なさったんですか?

アイコ様の働くきっさアミーゴへ→ GO!

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