オスカルは戸口に立つアンドレに舌打ちした。
 一方アンドレは、黙ったまま唇の両端をニッと上げてオスカルの部屋の中に入ってきた。
「いやな笑いだな」
「そうか? 俺史上最高の笑顔なんだけど」
 彼曰く、彼の人生の中で最も素晴らしい微笑を浮かべたままアンドレはオスカルに近づき、彼女の手の中のものを取り上げた。

 話は数分前に戻る。
 その日の夜も、夕食後アンドレはオスカルの部屋で明日の打ち合わせや残務の整理などをしていた。一通り終わり、アンドレはおやすみと言ってオスカルの部屋を去ったが、すぐに忘れていた事項を思い出して廊下を引き返した。
「オスカル、忘れていたことがあったんだが……」
 と言いながらアンドレはドアを開け、そして現在に至る。

「ノックをしろ、ノックを」
「そうか、悪かった。次からは気を付ける」
「悪いと思うなら返せ」
「だめ」
 アンドレがオスカルから取り上げたものは、ブランデーの瓶とグラス。邪魔者もいなくなったことだし、眠る前に一杯、と彼女がやり始めたところにアンドレが戻ってきてしまったのだ。
「まったく、毎晩飲んでいたのか? おばあちゃんから控えろと言われているだろう?」
「別に隠れて飲んでいるわけじゃない。昼だって飲んでる」
「なおさら悪い」
 会話の途中も、オスカルは何度かアンドレから寝酒を取り返そうと試みたが、敵はさりげなく瓶を持ち替えたり、体をかわしたりするので成功には到らなかった。
「そう、忘れていたことと言うのはだな、云々……」
 アンドレはオスカルの攻撃を避けながら、明日の予定に一つ追加事項があることを話し始めた。立て板に水、とばかりにアンドレは一息に述べ終わり
「それじゃあ、改めておやすみ」
 とブランデーを持ったままオスカルの部屋を出ていこうとした。
「ちょーっと待て! 本気で返さないつもりか?」
「当たり前だ」
 もう一度アンドレは、彼史上最高の笑顔を浮かべお辞儀までして扉の向こうへ消えた。
 部屋に残されたオスカルとしては不機嫌の極致である。さっきまでブランデーの瓶―― 一舐めもしていなかった――がのっていたテーブルの上を叩いて、もう一度舌打ちをした。

 よりによってアンドレに見つかるなんて、私も運が悪い。今日はスペードの10の日か何かか? ばあやにアレコレ言われるのはまだ良い。ばあやなら口うるさいのさえ我慢すれば最終的には飲めるんだし。アンドレはだめだ。アイツは昔っから頑固なんだ。やめろやめろと喧しく言わないで、さっと酒を取り上げる。私の飲まずにはいられない気持ちというのも少しは察しろ! 大体融通がきかんのだ融通が……。

 部屋の中を歩き回りながら、オスカルは心の中で悪態を吐いた。大声で駄々をこねたり物に当たったりする年齢ではないのだ。しかしイライラは募るので、結果部屋の中をぐるぐると歩き、もうここにはいないアンドレに対して文句をこっそりぶつけることになる。彼女の長々と紡がれる悪態を要約すると、えーい酒返しやがれ固っ苦しい奴め、であるが、勿論アンドレが日々臨機応変に対応してオスカルを支えていることは彼女の思考から除外されている。

 ノックの音がしてオスカルは足を止めた。
「はい? どーぞ!」
 とイライラの刺が残る声で応えると、幸いにも――この言葉が適切かどうかは分からないが――扉を叩いたのはアンドレだった。
「何だ? まだ忘れたことがあったのか? それとも飲んでいないかどうかの確認か? もう酒瓶は隠してないぞ」
「そう怒るな、寝酒の代わりを持ってきたんだ」
 アンドレの持つ盆の上には優美な細工が施された小さなカップがあった。とろりと濃い茶色の液体からは甘い湯気が立っている。
「……ショコラでどう酔えと」
「眠る前に少し甘いものを飲むと安眠できるそうだ」
 オスカルの憮然とした表情をあえて見ないで、アンドレはショコラをテーブルの上に置いた。オスカルは口をへの字に曲げたままカップを取り、唇に近づけて飲もうとしたところでふと動きが止まった。


「主人の我侭を止められない俺。ちょっと甘すぎるよな、従僕として」
「たった一滴でどこが甘いんだ? どうせ甘いなら最初から……」
 アンドレの作ったショコラの湯気は、微かにブランデーの香りがしていた。
「心優しい俺からのささやかなプレゼントということで」
「プレゼント?」
「お前の誕生日には特に何も出来なかったから、そのかわりに」
「何ヶ月前の話だ」
「そうだな……聖ヴァレンタインの日、とか」
「それも何日前だ?」
 愛する人へ贈り物を届ける日、を持ち出すのはアンドレなりにかなり勇気が必要だったのだが、オスカルは一言でアンドレの勇気を斬って返した。
「じゃあ、今日も一日お疲れ様、のプレゼントだ。文句ないだろう?」
「ささやか過ぎる。さっき持っていった瓶をプレゼントにしてくれれば……」
「明日も頑張りましょう、のプレゼント! 二日酔いにならないだろう。これでどうだ?」
「ケチ」
「ザル」
 数秒、二人は睨み合っていたが、アンドレが軽く肩を竦めて視線を外した。いつも先に折れるのはアンドレだ。
「取り合えず今日はそれで我慢しろ。……今度こそ、本当におやすみ、オスカル」
 そう呟いてアンドレはオスカルの返事を待たずに部屋を出ていった。

 また部屋に残されたオスカルだったが、三度目の舌打ちはなかった。
 ブランデーの香りを胸の奥まで吸い込み、温かいショコラを一口飲んだ。そして閉じられた扉を見遣り、本当に甘い、と彼女は少し笑った。



 



誕生日とヴァレンタインデーに何もしなかったのは私です。
なのでめちゃくちゃ遅まきながらも、プレゼントを一滴。

久しぶりに書いたらかぎ括弧ばっかり。出来が悪い。修論並に。



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