Je Te Veux 〜悲観と楽観〜


 なぜ今このような会話になったのか、アンドレは繋がりが思い出せなかった。確か、先程まで馬の蹄鉄を交換する話をしていたと思うのだが。
「……一番欲しい物ねぇ」
 オスカルに尋ねられて考えはじめたはいいが、どうしても頭に前の会話が残っているので
「新しい蹄鉄、とか」
 などと思いついた端から述べていってしまう。
「それはお前の欲しい物ではなくて、馬の欲しい物ではないのか?」
 脚下、と即座に返されてアンドレは再び考え始めた。

 暦が変わったとはいえ、まだ春の気配も感じられない夜道である。マントのあわせから忍び込む風や、手綱を持つ指を手袋ごと貫く空気のせいで、肋骨の中心まで凍ってしまいそうだ。あまり黙り込んでいると“馬に乗った青年の氷像”の出来あがりだ。とりあえず、とアンドレは口を開いた。
「今は、そう、たった今一番欲しい物は暖かい毛布だな。暖炉が付けば更に最高」
「それは私も欲しいな。私は暖炉にヴァン・ショーもつけて欲しい。胃の中もちゃんと暖めないとな」
「よし、帰ったらすぐさま用意しよう」
 それから話題は“ワインの中に何を入れるのが最も好みか”というものに移った。オレンジとシナモンが外せないのは二人に共通していたが、実は砂糖が美味い、というアンドレに対し、そんな物邪道だとオスカルは反論する。ひとしきり“屋敷で飲めるであろう夢のように熱いワイン”について語り合い、空想の翼で外気温を誤魔化した後、ふいにアンドレの頭が十数分前に戻った。
「ところで、何の話をしていたんだった?」
 その言葉にオスカルの目が軽く見開かれた。星明りのせいか、夜闇の中でも彼女の瞳が小さく光って見え、その粒にアンドレは雪のひとひらを思い浮かべた。
「うーん。……ああ、明日馬の蹄鉄を換える話をしていた」
「そうそう、それから道具がちょっと傷んでるという話をしていたな」
「そうだ、でお前が良い道具を使わないと馬も嫌がると言ったんだ」
 まだ何か二、三別のことに話が転がった時点まで二人は辿ることが出来た。
「何でそれからワインの話になったんだ?」
「欲しい物の話からだ」
 オスカルの答えに、アンドレは応と頷いた。
「そうだったそうだった。お前から“欲しい物は何だ”と聞かれることも珍しい話だな」
「悪いな、いつもアレをしてくれコレをしてくれと頼むばっかりで」
 オスカルがおどけて肩を竦めた。
「しかし、アンドレ。小さい頃から思っていたが……」
 オスカルの声は、林を吹き抜ける風で明瞭に聞こえなかった。
「え?」
「だから、」

 お前はいつも、一番欲しい物は言わないな。

「……そうか?」
「そうだ」
 アンドレに自覚は無いが、オスカルが言うのだからそうなのだろう。もともと自分は物欲の強い性質ではないから、とアンドレは言ったが、オスカルは右に二十度ほど首を傾げて
「欲が強いとか弱いとか、そういうのではなくてだな……」
と呟いて、そのまま黙り込み何かを考え始めた。アンドレもオスカルの次の言葉を黙って待っていた。“美貌の青年仕官とその従僕の氷像”ができる直前、林の切れ目にさしかかる頃、やっとオスカルが口を開いた。
「悲観的なんだ」
「はぁ」
「なんだ、その気の抜けた返事は」
 考え出した答えに溜息ともつかぬ返事を返され、オスカルは細い眉をしかめ、アンドレを睨んだ。
「いや、俺が欲しい物を言わないとなんで悲観的なんだ。そこが分からん」
 アンドレにしても、じっと待っていた言葉の続きが、あまりにも繋がらない上に睨まれたのでは面白くない。
「諦めている感じがするからだ」
 違うか? と睨んだままの瞳でオスカルは問い掛ける。
「……なんだ、それ」
 アンドレは澄んだ青から目を逸らすために空を仰いだ。さっきまで木立にさえぎられていた天は、晧とした月を掲げ世界を冷やしている。試しにアンドレが細い息をつくと、白く変わって闇に立ちのぼった。
「同じことがお前にも言えるぞ、オスカル」
「私は、欲しい物は欲しいと言う」
「でも一番欲しい物は言わない。俺とは逆の理由で」
 しきりに瞬きをするオスカルに向かって、アンドレはにやりと笑った。
「お前は欲しい物を諦めない。一番欲しい物は、自分の手で勝ち取れると思ってるだろう?」
 正鵠を射た、アンドレにはその手応えがあった。オスカルの目がくるんと大きく見開かれたからだ。
「楽観的なんだ、お前は」
「……ふん! 欲しい物は、自分で何とかする。それが気概というものだ」
「ま、昔からその気概ってやつには痛い目に合わされてるんだがなぁ」
 更にきつくオスカルはアンドレを睨みつける。アンドレは空を見上げたまま、自らの煙のような息を玩ぶ。そして、二人同時に吹き出した。
「「お前とバランスがとれていて丁度良い」」
 笑わずにはいられない。お互い同じことを同じタイミングで思い付き、当然相手が“そう”考えているとわかってしまった。つまり、ずっと昔から、二人は“そう”なのだ。

 ゆるやかな道を曲がると、屋敷の灯りが見えた。
「オスカル」
「ん?」
「今、一番欲しいものがある」
「なんだ?」
 一陣の突風が吹き抜けた。二人は首を竦め、翻るマントを押さえた。
「寒っ……で、なんだ? 欲しいもの」
「――暖炉とまでは言わん。丈夫な壁と、ドア」
 オスカルはまた吹き出した。
「私もだ。珍しく、お互い一番欲しい物を言ったことになるか」
「そうだな」

 待望の丈夫な壁と扉が近付いてきて、アンドレは空を見上げた。屋根に銀の光が降りかかっている。
 月を吹くと、呼気はまた白い煙となって宙へ消えた。目に映るけれども掴まえられない、一番欲しい物に似ている、とアンドレは水蒸気の影を見送った。

 確かに、自分は一番欲しいものを言わない。
 一番欲しいものは、手に入らないから言う事なんて出来ない。

 ただ、ほんの時折。ほんの時折、今夜のような冷たい月の夜には。ずっと望んでいる「一番欲しいもの」を言ってしまおうか、と思うことだってあるのだ。
 例えば、さっき風に邪魔される直前なんかは……と、アンドレはもう一度空に白い溜息をついた。 





エリック・サティは初めて買ったCDで、
且つ初めてのジャケ買いでした。

だからなんだ、って話なんですが。
で、結局この久々の字書きもだから
なんだって話なんですが。



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