Princess Familia

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 幼い頃、私はお姫様だった。

 物語の中のお姫様のように、美しいドレスがあるわけでも、輝く金の馬車やガラスの靴があるわけでもなかった。しかし私には、私をお姫様にしてくれる魔法使いがいた。
 魔法使いは広い背中と大きな手をしていた。私を包みこむ胸はいつも太陽の匂いに満ちていた。首にかじりつくように飛びついてくる私をしっかりと抱き締め
「いい子だね、俺のお姫様」
 と微笑みかけてくれた。その言葉で、私の着ている木綿のスカートは絹のドレスに変わり、泥の付いた木靴は素晴らしい刺繍の施されたスウェードの靴になった。
 私の魔法使いは、私の父親だった。

「父様、父様! 今日ね、浜辺に行ったらね、こんなに沢山ハマナスが咲いていたのよ! ほら」
 子供の私は毎日が大事件の連続だった。当然その事件は真っ先に父に報告され、彼はお姫様の冒険を楽しそうに聞いてくれるのだった。例えば夏にはまだ早いのに、鮮やかに赤いハマナスが満開だったりすると、私は近所の誰よりも先にそれを見つけてエプロンいっぱいに摘んで帰った。父は私の差し出した花の香りを深く吸い込み、柔らかい一重の花弁を撫でてその形を確かめる。そして優しく
「お手柄だね、お姫様」
 と私の頬にキスを落としてくれるのだ。嬉しくて父にキスを返していると、奥の間から母が出てくる。私のはしゃいだ声が聞こえたのだろう、母は細い眉を顰めて
「こら。一人で浜に降りてはいけないといつも言っているのに」
 なんて苦めの言葉を投げてくる。
「だってだって! お花が綺麗だったモン。それに波の方にはあんまり近付いてないモン」
 そう私が言い訳していると
「でも頬がこんなに冷えている。海風に当たりすぎるのは良くないぞ」
 と父はいつも母の味方になるのだ。
「ホラ、髪もこんなに縺れている。折角の可愛らしいのが台無しだ」
「おいで。梳いてあげよう」
「やー! 父様に梳いてもらうー」
 膨れっ面をして母の伸ばした腕から身をよじり、父に磁石のようにくっつくと、父は満面の笑みと困り顔を混ぜながら母からブラシを受け取る。受け取るついでに母の指に口付けするのも毎回のことだ。
 幼かった私はそのシーンにいつも少しだけ不機嫌になった。今思えば、それは抱え切れないほどの幸せの重みに対する不機嫌だったのかもしれない。
「さあ、後ろを向いて。元通り、天使の金髪にしてあげよう」
「……父様」
「なんだい?」
 父は私の頭の場所を探して髪を撫で、毛先から少しずつブラシをあてる。
「いつも私のこと可愛い可愛いって言うけど、本当は可愛くないかもしれないわよ」
 私の父は盲目なのだ。私が生まれるずっと前に、事故で目を傷つけたと聞いている。だから父は私の顔を見たことがない。
「そんなことないさ。間違いなく可愛いよ」
「なんで? 娘だから?」
 不機嫌な私はついイヤな言葉を父にぶつけてしまっていた。可愛いって言われて、実際はすごくすごく嬉しいのに。
「違うよ。お前は母様の小さい頃にそっくりだって言われているじゃないか。俺は八歳の頃から母様と一緒だったから……母様はそれはそれは可愛かったんだぞ」
 自分の自慢のように言う父にまた私の頬が膨れる。
「それって私が可愛いんじゃないわ! 父様いっつも母様の味方してばっかり。本当は私より母様のほうが好きなんでしょ!」
と怒ると、なんと父はあっさり
「そうだよ」
 と答えた。我侭虫がお腹の中で騒いで、私は泣き出しそうになった。ところが父はその言葉に続けてこうも言ったのだ。
「母様はお前を産んでくれたんだ。だから母様が一番好きなんだよ」
 父の台詞に、私はどっちがより父に好かれているのか分からなくなってしまった。目をくるくる回して考えている内に、私の髪はすっかり整えられ、おまけに摘んできた花が一輪飾られた。
「ほらね、可愛いだろう? 母様にも見せておいで」
 何も見えていないはずの黒い瞳は、真っ直ぐ私を捉えて優しく輝いていた。

「……一人で海に行っちゃって、ゴメンナサイ」
 もじもじしながら謝る私を、母は自分の膝の上に抱き上げた。
「急に大きな波が来ることもあるんだ。母様の心配が分かるね?」
「……ハイ」
 もうしません、と小声で呟くと、私の眼を真剣な表情で覗きこんでいた母がようやく笑顔になった。それはもう、教会のステンドグラスのマリア様より綺麗な微笑みだ。母は――娘が言うのもおかしいが――素晴らしく美しい人だった。
 整えられた髪を撫で、飾られた花を優しく突付いて
「良く似合うね」
 と母が褒めてくれた。
「……ねぇ、母様」
「何?」
「母様は……父様と私のどっちが好き?」
 母は美しい微笑みを更に深くした。薔薇色の唇が本物の花弁のように静かに動いて
「父様」
 という単語を形作った。
「だって……父様と出会わなかったら、お前を産むことがなかったから」
 母は父と全く同じことを言って、私の金髪にキスをした。
「大好きだよ、私のお姫様」
 と囁きながら。
 私には、私をお姫様にしてくれる魔法使いが二人もいたのだ。


   本物のお姫様がどんなものかは知らないが、多分彼女に与えられる金銀財宝よりも多くの愛情を私は与えられていただろう。天からの雨を受けて、若苗が枝を伸ばし葉を茂らせるように、私は全身に降り注ぐ両親からの愛でのびやかに成長した。
 大人になった私の前に、三人目の魔法使いが現れた。
「愛している、僕のお姫様」
 彼の魔法にかかった私は、心の中が彼のことでいっぱいになってしまった。幼い日に、エプロンから零れ落ちそうになっていたあのハマナスの花よりもいっぱいに。
 魔法使いのもとに嫁ぐ日、花嫁衣裳を纏った私を両親は抱き寄せた。
「幸せにおなり。私達の、大切なお姫様」
 ――十歳を過ぎた辺りから、何時の間にか言われなくなっていた言葉だった――。
 背も随分と高くなり、手足もあの頃の何倍も長い。髪だってすでに結い上げている。
 それでも未だに、両親にとって私はお姫様だったのだ。



 私は今、編物をしながら夫の帰りを待っている。時々自分のお腹に手を当てて、独り言を呟いて。
「早く出ていらっしゃい。私のお姫様……王子様?」

 今度は、私が魔法使いになるのだ。


 


掲示板上の話題につられてしまいました……。
タイトルの「Princess Familia」はアメリカの歌手、アラニス・モリセットの歌です。
物事には勢いが必要。勢い有り過ぎるのも問題。



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