天使の書評 CREA (文藝春秋社) 1994.12〜1995.11連載
取り上げた本 | 表題 | 一部抜粋 | |
作者 | 本のタイトル | ||
松浦理英子 笙野頼子 |
おカルトお毒味定食 (河出書房新社) |
文学の規範に挑戦する、スリリングな対談集 | こんな二人の取り合わせも楽しむべきだが、やはり何と言っても面白いのは、二人の語る「文学」の面妖さに尽きるだろう。 従って、メインテーマは「文学純粋空間」における「絶望感」と二人の「戦い」ぶりにあると読んだ。 |
北斗晶 | 北斗晶自伝 血まみれの戴冠 (ベヨトル工房) |
女子プロレスを職業として選んだ女性の強烈な自我。 | ここに至って初めて、この本がしたり顔の剣豪小説など問題にならないほど、より優れて「プロレスラー的」であることに気付くのである。 |
渋沢さつき | 白 (竹書房) |
麻雀を舞台にロールプレイング感覚で進行していく全く新しい青春漫画「白」 | 麻雀からギャンブル性を抜き取った上澄みのようなゲーム漫画。それが「白」である。 |
ローレス・ブロック 田口俊樹訳 |
死者との誓い (二見書房) |
ニーヨークに住む中年男の心の揺らぎが 絶妙なタッチで描かれている探偵小説 |
ローレス・ブロックの書くマット・スカダーシリーズの白眉はニューヨークの街と、そこを住み慣らす街のプロを活写しているところにある。だから、私はいつもニューヨークの地図を手にして彼の足取りを追いながら読んでいた。すると、あの街のあの情景が目に浮かぶのである。灰色のビルの谷間を歩く中年男、スカダーの姿が。 |
パトリシア・ハイスミス | イーディスの日記 (河出文庫) |
読者を選び続けたパトリシア・ハイスミスの74年間 | 何時間も読み続けて、最後に救いようのない破滅が待っているのはハイスミスの特徴である。ここが気に入らなければ、ハイスミスの読者にはなれない。 |
梁石日 | 修羅を生きる (講談社現代新書) |
「父」と「子」の激しい戦いを描いた 今月の一冊 |
これがフィクションだと、主人公の子供は力の衰える父親をいつの日にか負かし、心の中で父親殺しをして成長する、となることが多い。しかし、現実は暗くどうしようもなく重い。憎しみは消えることなく、筆者と共に成長するからである。 |
井坂洋子 | <詩>の誘惑 (丸善ブックス) |
この”ガイドブック”があれば詩の世界はもっと身近になる | だから、「詩」の言葉というのは、説明も何もかも排した白い綺麗な骨のようなもの、つまり「ハレ」の言葉なのだ。小説と逆で面白い。 だが、「ハレ」の言葉は殺(そ)がれ過ぎていて鋭い刃物に近い。 |
ビアンカ・ランブラン | ボーヴェワールとサルトルに 狂わされた娘時代 (草思社) |
知識人の欺瞞と怠慢に翻弄された女性の自伝 | なのにいまだボーヴォワールは過去の観念に囚われ、過去の書簡集を出したがる。あからさまな言葉の吐き出しが正しい、それが哲学者の義務だと思い込んでいるのだ。 かって時流に乗って世間を闊歩した『思想家』の悲しい性が感じられて感無量である。 |
奥野修司 | ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の17年 (新潮社) |
子供にとって母親とは、家族とは、いかなる意味を持つのであろうか | ここで、「赤ちゃん取り違え事件」は、家族、とりわけ母親の養育態度と子供のアイデンティティ確立という大問題に突き当たってしまうのである。 |
小林紀晴 | アジアン・ジャパニーズ (情報センター出版局) |
『深夜特急』に憧れて旅に出た若者たちの記録 | この本にも多数の若者の言葉や写真が掲載されているが、多数になればなるほど意見は多様になって容易にはわからない。旅はその人に似ている、とは著者の名言だ。 ただ、分かることがひとつだけある。旅が終わると彼らは凡庸になる、ということだ。帰国してからの旅人一人一人に追跡取材した、この本の後半部分が興味深いのは、彼らの変容ぶりではなく、作者自信の筆に旅行中の精彩が見られなくなることである。それはまるで夢から醒めた人のようでもある。 |
大塚英子 | 「暗室」のなかで 吉行淳之介と私が隠れた深い穴 (河出書房新社) |
秘められた男女の関係に光りを照らすとき何が見えるのか | だからといって、私はこの本が暴露本だとは思わない。吉行淳之介という類い稀な人間と係わった女として黙っていられないのだ、という著者のパワーと執念は伝わって我々を圧倒するからである。 |
矢貫隆 | 「自殺」 生き残りの証言 (文藝春秋) |
自殺未遂者が抱いていた生への未練とは | サンフランシスコのゴールデンゲイトブリッジでの自殺者の大半が、太平洋側ではなく、陸地側の方向に飛び込むのだという。「あきらかに『生』に対する未練の現われのひとつ」と矢貫氏は書いている。 |