桐野タイトル

インタビュー・対談その他
2001年

雑誌等に掲載された桐野さん関連記事を集めています。
但し、単なる書評は除いています。
引用は偏見で選んでいますので、ご注意下さい。
全文を読まれることをお勧めします。

イ:インタビュー、エ:エッセイ、ト:トークショー、他:評論他、対:対談

発行 雑誌・新聞名 内容等
2001年
12月8日
サイン会 ※サイン会
神代書店(東京都調布市) 15:45-16:45
#桐野さんの母校・桐朋学園前の神代書店でのサイン会。
2001年
12月6日
小説新潮
12月号
※第二回ホラーサスペンス大賞発表
選評
恐怖とは何か   桐野夏生
『恐怖とは、認識や想像力の限界を超えたところを覆っている黒い布のようなものらしい。良い小説にはその覆いが掛かっている。黒い布の気配がある。小説とは認識と想像力の彼方を目指しながら、黒い布によって更なる妄想や想像力を喚起するものだからである。』
2001年
12月6日
ダ・ヴィンチ
2001年12月号
※2001年9月11日
 その時、作家は何を見たか
桐野夏生
ビルが倒壊したとき、異世界の扉が開いた。大きな格差のむこう側を、知ることから始めたい。
『今後、私にできるのは、様々なことを知り、想像力を働かせて、そういう人々のことを想像できる小説を書いていくことしかない。認識には大きな差があるから、無知は罪だと思うのです。』
#他に東野圭吾、高村薫氏も書いておられます。 
2001年
11月1日
小説現代
2001年11月
※アメリカ同時多発テロ−小説家はこう受け止めた
想像力のできること
『慌ててテレビを点けると、真っ暗な夜空にあえかな光が流星のように飛び、明滅する光は動かなかった。明滅する光は、タリバン側の対空砲だという。
 アフガニスタンは午後十時。真っ暗な夜空を晧々と照らしている大きな満月が印象的だった』
2001年
10月23日
FRAU
2001.10.23
NO.249
※Addictの蜃気楼・ラスベガスを彷徨う
「bad land」
『道すがら、私はなかば呆然としていた。こんなだらしない都市は見たことがない。ただっ広い空き地ばかりが目に付き、パワーショベルやブルドーザーがあちこちに放置してある。不思議なことに人の姿が見えない。巨大ホテル群はすぐ近くらしいが、ショーを喧伝する大きな看板の隙間から彼方を覗き込んでも、空気は暑さで霞み、白っぽい砂埃だけが舞っている。ハワイのような濃密なリゾートを想像していた私は、イメージを大きく裏切られ失望していた。』
#ラスベガス旅行記
2001年
10月1日

10月号
※インタビュー
『オチがある短編があって、カルタシスを感じる作品があるから、それが快楽であってもいいと思うのですが、私はわりと置き去りにされるような作品が好きなのですよ。宙吊りにされる不安感が好きなので、オチによって綺麗に終わらせることを避けているところがあると思います。』
#「ジオラマ」文庫化に際してのインタビュー。
短編小説は桐野さんにとってどんなものか問われて。
2001年
9月13日
北日本新聞 ※現代を書く 現代に書く
※桐野夏生さん
『子供に対する母親の責任という言葉が通用しない人が出てきた。子より新しい男を選ぶわけで、その感覚は動物的でありながら弱い。何か過剰でむき出しで、以前のように欠落を恥じる感覚は失われた。それを『グロテスク』というタイトルに込めた』
#お写真はとってもポップです。
2001年
9月9日
TBSテレビ ※いのちの響
※荒ぶる魂を言葉に束ねる。作家・桐野夏生
『どっかに私は発信している訳ですよね。答えてくれと。』
#桐野夏生紹介、とでも言うのでしょうか。書斎でのインタビューで、パソコンに向かっているお姿もあり、とてもよく撮れていました。現代社会の感想、作品を書くに当っての思いを語っておられました。
2001年
9月7日

トークライブ ※ドコモ東海
  コミュニケーショントークライブ2001
  21世紀のコロンブスたち
  アートピアホール(名古屋) 司会 木場弘子   

#「発見」をキーにしたトークライブ。桐野さんにとっての発見は、「私にも小説が書けたこと」。(記憶不確か)
会場はほぼ満員。桐野さんは黒っぽい服装でご登場。最初ちょっと戸惑っておられたようですが、次第にリラックスされ子供の頃のことから最近のことまで多くのことを話しておられました。ドキュメンタリーの撮影で中国に行かれた時の話(特にトイレの話)で会場は大爆笑。この旅行の時の写真も紹介されていましたが、狙いと映像のアンマッチに桐野さんもお茶目だなぁ、と思いました。やっぱり「生」はお人柄も良く分かって、とても面白いですね。内容も会場も演出もセットもすばらしいトークショーでした。
尚、今、満州帝国に興味があって、書き下ろし作品にされるご予定とか。その取材のため最近ラスベガスへいかれたようです。発表を心待ちにしています。
→ 詳細はこちら
2001年
9月6日
ダ・ヴィンチ ※桐野夏生 解体全書
『でも有子はコールガールまがいの行動をすることによって救われている。これは女にしかわからない感覚なのでしょう。読者に理解してもらいたいと思って小説を書いていても、男女の違いはどうにもならないことってありますね』
#「玉蘭」の有子の描写にやや不満がありましたが、そういう感覚が分からなかったからだな、と納得。
桐野さんの歴史あり、貴重なお写真の満載あり。桐野ファン必読の記事です。少女の頃もとってもかわいいです。
2001年
6月1日
ef エフ
2001年6月号
※この女性の軌跡33
※勝ち組みは、他人の評価に頼っている。本当の自身は自分で闘って勝ちとらないと
『横光晃先生に『10年たったら売れっ子になる』みたいなことを言われ”そんなに待てない、長すぎる…”と、ひどくショックだった。プロはそんなにも遠いものなのかな、と』
#「直木賞作家になるまでの軌跡は、必死で自分の居場所をさがしつづけた人の、涙のにじむ格闘の歴史である。」とキャプションがあるとおり、良くまとめてあります。写真も揃っています。
2001年
4月4日
朝日新聞 ※やむなき旅人
『一年の総決算アンド再出発である春は、日本人の心を一時「ご破算で願いましては」にするパワーを秘めているのだ。(略)人は生れ落ちた瞬間から、「やむなき旅人」になる。旅に出たくなくても、ひとつところに留まりたくても、生まれた以上は個人という旅を続けなければならない。』
#春先のエッセイ。
桜の季節から書き起こし、人生、小説の世界をのべておられます。
2001年
4月6日
週刊朝日 ※グラビア「桜の国」にエッセイ
※桜は私を不安にさせる花 平常心では見られない
『同じ花を見ても、毎年気持ちが違います。咲いているのに気づかず過ぎていく年もある。満開を心待ちにする年もある。だから、毎年車の窓から、蕾だけはチェックしてます。やっぱりどこかで待っているんですね。』
2001年3月1日 一冊の本 ※著者インタビュー
※ここではない何処かへ   桐野夏生、『玉欄』の世界
『途中で曲がるんです。ポキンと。それを自分でも待っている。最初の二百枚、三百枚ぐらいはほんとにつらい。自分でもなにがおもしろいんだかわからないんですもの(笑)。その後、変な人間を突然出すと、突然小説が曲がっていく瞬間がある。そこまでの我慢です。『玉蘭』では第三章の質の章から動き出す感じですね。』
2001年3月1日 文藝春秋
2001年3月号
「教育再生」私の提言
少年はなぜムカつくのか
『ここ十年間、大人は「人生は長い」という真実を子供に教えようとはしていない。敗者復活戦もない。だから頭を押さえつけられ、プレッシャーを感じる子供は訳もなくムカついて荒れるのである。大人はすべからく子供に、「人生は長い」と教えるべきだ。』
2001年2月27日 サイン会 「玉蘭」刊行記念サイン会
2月27日(火) 東京旭屋書店銀座店
2001年2月1日 オール読物
2001年2月号

特別随想 
中国厠所事情
『この強行日程を、撮られ、装い、自分で荷造りして移動し、資料も読み、議論もしなくちゃならない。芸能人にマネージャーや付き人が必要だということがよくわかった。しかし、私は作家。誰もいない。仕方なく、全部自分でやらざるを得なかったが、最後は睡眠不足で足元がふらつくほどだった。』
#BS−iでの中国ロケについてのことを書いておられますが、どうやらトイレで最も苦労されたようです。番組の裏話などが読めて面白いですが、12日間のロケだったとは大変驚きです。
2001年
1月2日
BS−i


桐野夏生サスベンス紀行
失踪した大伯父を追う
上海、広東、重慶定期紀行
#小説「玉蘭」のモデルとなった大伯父を追って上海、広東、重慶を桐野さん自身が旅する2時間のドキュメント。
桐野さんのナレーションがちょっと棒読みで早口なのはお愛嬌ですが、なかなか面白かったです。「玉蘭」読み直してみようっと。
2001年
1月9日
週刊アスキー 進藤晶子の「えっ、それってどういうこと?」
新時代のトップランナーたちに訊く! 第6回  桐野夏生
『ただね、何が目標か、わからないんですよね。最初はささやかな目標で「活字になればいい」。次は「ハードカバー本を出したい」実現すると、次は「売れたい」。だけど売れるためには賞をとらないといけない……と、どんどん表現への欲望は高まっていきますよね』
#桐野夏生ファン、進藤晶子ファンにとってはまさに、「盆と正月が一遍に来た」ような夢の企画。ありがとうございます。

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