桐野タイトル

連載中 エッセイ
2003年

アクセスポイント 読売新聞 土曜日 連載

発行 雑誌・新聞名 内容等
2003年11月8日 読売新聞 ※アクセスポイント
※体力は秋 心は真夏
『しかも、衰弱は悪いことでもない。本当に失いたくないものとは何か、ということを明確にするからである。失いたくないものに気付いた人間は、強く生きられる。体力は秋でも、心は荒々しい真夏の太陽と同じである、と言ったら、若い人は驚くだろうか。』
#桐野さんの力強いお言葉に、感動しました。
2003年9月13
読売新聞 ※アクセスポイント
※死者はどこにいるか
『先週、ニューヨークのグラウンド・ゼロに行った。予想に反して、ビルの跡地は狭かった。まさに、ビルの谷間である。瓦礫は片付けられていたが、仕残した工事現場のように殺風景で、穴が大きく穿たれている。周囲はフェンスが張り巡らされ、何をどうしていいのかわからないという戸惑いに満ちていた。』
2003年7月5日 読売新聞 ※アクセスポイント
※恐怖知らぬ子供達
『だから、子供の私は、酔っ払いが恐かった。どんな立派なおじさんでも、酔えば顔が赤らんで声が大きくなり、急に下卑て見える。酌をするおばさんも、媚びる目をして見知らぬ女になる。
夜はそのうち明ける。だが人間の豹変が最も薄気味悪く、対処しようにもどうにもできないものなのだ。』
12歳の少女達の監禁事件を受けた感想について述べておられます。
2003年7月5日 読売新聞 ※アクセスポイント
※テニスのような会話
『値踏みされている視線を感じつつ、すべて自分の仕事に結び付けて的確な答えを返し、言葉で圧倒しなくてはならないのだ。やはり、テニスの試合なのである』
#「会話」を、桐野さんの英会話の先生は「テニス」になぞらえ、日本では「キャッチボール」と表現してきた。「OUT」が英語等に訳され、海外メデイアからの取材があったが、やはり「テニスの試合」であった。と、海外メディアの取材方保、「会話」、コミニュケーションについて述べておられます。良いエッセイです。
2003年5月31日 読売新聞 ※アクセスポイント
※新興宗教、どう見るか
『その意味で、信仰とは差別と迫害の中でどう変質するかわからない怖さも秘めているし、試練に耐える個人を魅力的に見せることもあるのだ。映画はそのどちらともつかない難しさを示した。後は、小説の役回りだろう』
#森達也監督のドキュメンタリー映画「A」と「A2」を見て、信仰についての難しさを述べておられます。
2003年4月8日 読売新聞 ※アクセスポイント
※人ごとではない新型肺炎    桐野夏生
『つい最近、北京に旅行した。(略)
翌日は紫禁城に。広場、レリーフ、玉座の見物の繰り返し。次第に巨大なマトリョーシカに倦んでくる。夜、羊肉しゃぶしゃぶ。最後の日、万里の長城へ。(略)
北京から帰国して、今日で六日目。あと、四日で潜伏期間が過ぎる。それで何事もなければ、やっと無事の帰還となる。もし、発症したら、北京での私の行動を参考にして感染経路を突き止めていただきたい。』

#「香港と広州の流行だからと心配ないと旅行者の人に言われ」北京に旅行されたようです。
日本に最初に病原体を持ち込んで日本人にならないようお祈りいたしております。
2003年3月1日 読売新聞 ※アクセスポイント
※痩せる創造の力
『本を巡る状況はとうに作り手の意図や願いを遠く離れている。愛のない場所で摩滅するまで売られ続け、単なる暇つぶしとして消耗されるのだと思ったら途端に淋しくなった。』
#本が売れなくなった状況を慮ってのエッセイ。
2003年1月18日 読売新聞 ※アクセスポイント
※「ドクハラ」と闘う  桐野夏生
『ハラスメントは、必ずある構造の元に出現する。権力のあるものが、圧倒的弱者に向かって投げかける腹いせだったり、意地悪である。当時は「てめえら、人間じゃねえ」と思わず時代劇の台詞を呟いただけの私だったが、今は「ドクハラ」と言える状況になっただけましだろう。何せ命が懸っているのだ。』
#「ドクター・ハラスメント」が注目されているらしいことから、娘さんが幼稚園児の頃かかったドクターを振り返ってのエッセイ。

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