エロゲーをやりました(もー、冒頭から身も蓋もない)。
いろんなおね―ちゃんが脱いでくれて、あられもない格好をしてくれるわけですが、何作かやってみると(何作もやってんのかいっ!てなツッコミはなしで)
カルティエとは勿論あの高級宝飾店のカルティエ。
人間はただでも時間を知ることが出来ます。体内時計もあるし日光だって感じる。文明の発達した今では、どこかしこに時計があるし、テレビだって時報だってある。カルティエの時計は時間を知るために存在するのではなく、そのデザインだとか装飾性のために創造され、高値で取引されているわけです。 「ああー、そうかぁ。この時計達は時計機能を全く期待されていないんだぁ。それでも時計機能が動かなかったら、全く価値のないもんなんやぁー。この長針と短針のレーゾンデートルはどこにあるんやろう……」
そしてふと思い至るわけです。
ゲーム世界の中で、エロは全くの付け足しでしかない。哲学的なことで主人公が悩んだり、切なく淡い思春期の恋だったり、世界を征服したり、悪魔の手から地球を救ってみたり……「ごきげんよう、よい終末を」なんていわれた日にゃ ところが!エロゲーはエロがないと成立しないのだ。どんなに深いことを語っていようとも、例えエロに必然性が全然なくても、 エロがなければ全くの無価値なのだ。
さて、そこで先ほどの僕の台詞の『時計』部分を『エロ』に換えてみよう。
悲しい。堪らなく哀しい。こんな可哀想な画像達のために僕は深夜までエンターを押しつづけ、マウスをクリックし続けたのだろうか。
とそんなことを訴えていると、ゲームを供給してくれた某嬢が
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