エロゲーとは、カルティエの時計である



   エロゲーをやりました(もー、冒頭から身も蓋もない)。

 いろんなおね―ちゃんが脱いでくれて、あられもない格好をしてくれるわけですが、何作かやってみると(何作もやってんのかいっ!てなツッコミはなしで)

エロゲーとカルティエの時計

に共通する悲哀を感じて仕方がなくなってしまいました。

 カルティエとは勿論あの高級宝飾店のカルティエ。
 そこの時計は『トリニティ』だの『ベニュワール』だの『サントス・ガルベ』だのものごっつい回りくどい名前がついていて、それはそれは上品なフォルム、手元に漂う品格に貴女の美しさが煌きます……廻しモンかいなオイラは、といった憧れの高級時計なのらしい。女性雑誌曰く。
“高級”なモンだから、お値段も気合いが入っていて、20万円越えるのが当たり前、モノによっては50万くらい軽いもんよ。雑誌の特集読んでて白目剥いちゃいましたや、
「人間て時刻を知るのにこれだけの金が要るんかっ!!」
と。

 人間はただでも時間を知ることが出来ます。体内時計もあるし日光だって感じる。文明の発達した今では、どこかしこに時計があるし、テレビだって時報だってある。カルティエの時計は時間を知るために存在するのではなく、そのデザインだとか装飾性のために創造され、高値で取引されているわけです。
 雑誌を眺めながら切なくて堪らなくなりました。

「ああー、そうかぁ。この時計達は時計機能を全く期待されていないんだぁ。それでも時計機能が動かなかったら、全く価値のないもんなんやぁー。この長針と短針のレーゾンデートルはどこにあるんやろう……」

 そしてふと思い至るわけです。
「エロゲーにおけるエロ画像とおんなじやなぁ……」
と。
 お話が感動的だったり、事件性やゲーム性が高ければ高いほど

エロいらねぇ。

と思うのです。

 ゲーム世界の中で、エロは全くの付け足しでしかない。哲学的なことで主人公が悩んだり、切なく淡い思春期の恋だったり、世界を征服したり、悪魔の手から地球を救ってみたり……「ごきげんよう、よい終末を」なんていわれた日にゃ
18禁であることすら忘れてしまう感動!

 ところが!エロゲーはエロがないと成立しないのだ。どんなに深いことを語っていようとも、例えエロに必然性が全然なくても、 エロがなければ全くの無価値なのだ。

 さて、そこで先ほどの僕の台詞の『時計』部分を『エロ』に換えてみよう。

「ああー、そうかぁ。このエロ画像達は(話の流れに)エロを全く期待されていないんだぁ。それでもエロがなかったら、全く価値のないもんなんやぁー。このモザイクと喘ぎ声のレーゾンデートルはどこにあるんやろう……」

 悲しい。堪らなく哀しい。こんな可哀想な画像達のために僕は深夜までエンターを押しつづけ、マウスをクリックし続けたのだろうか。
「エロゲーにエロって要らないじゃないか!!」

 とそんなことを訴えていると、ゲームを供給してくれた某嬢が

「ああ、それはエロしかないヤツをやってないからですよ。今度お貸ししましょうか?調教・売春・調教・売春の繰り返ししかないゲーム



 …………………ありがとう。

  


+BACK+ *HOME*