『西行花伝』

著者:辻 邦夫  発行:新潮社

願わくば 花のしたにて春死なん 
そのきさらぎの 望月の頃

 上の歌は、私が西行に惹かれるきっかけとなった歌です。有名な歌がきっかけになるのは「人のゆく 裏に道あり 花の山」の精神にそぐわないのでなんとなく気恥ずかしいような思いですが、華やかな哀しさに彩られたその歌に強く心引かれました。(10年前でした…若い!)
それから暫く後、この「西行花伝」が箱入りハードカバーで発売されました。その厚さ4.2p。読破する自信もお金もない私はじっと我慢をし、ようやく文庫に落ちたのを機に読む事が出来ました。

ジャンルは伝記小説。歴史物です。骨太な史実をなぞりながらも、作者は創作によって見事に肉付けして西行法師の一生を描いています。「花伝」は西行の弟子である藤原秋実が、師の思い出を辿るために西行に関わった様々な人々から話を聞き、その語りを書くという形になっています。
 歴史物の宿命の如く、登場人物多いです。名前も人物の立場も歴史慣れしていないと混乱しそうになります。おまけに時代背景は摂関政治後期から院政花盛りの頃を経て、保元・平治の乱、源平合戦まで。大動乱、重要事件が次々と起こります。それだけでも読み応えはあるのに、更に歌道、雅、仏教の深遠を覗く“重い”本です。娯楽小説ばかり読んでいた私には、まさしく「読破」した感覚でした。

 しかし、その重さに負けない美しさがあります。若き西行がいかに苦悩し、熱い恋をし、約束された将来を捨ててまで出家をし、旅に生き、歌に生き、その人生は何を得たのか。どう閉じたのか。作者の文は読みやすく、流麗です。

 この世は、雲を凌ぐ大廈高楼にしても、永劫不変と見える権勢にしても、目を欺く七珍万宝にしても、全て一瞬の夢に過ぎないのだ−−−(中略)
 秋実、この世は夢のようなものだと知ったとき、私は、それを留め得るのは歌であることも感じたのだ。

日輪はつねに輝いている。森羅万象(いきとしいけるもの)に恵みが溢れている。花を見ても慈悲が輝いている。月を見ても慈悲が心に染みてくる。それはそのまま歌の相(すがた)なのだ。


 行動の歌人、西行。彼の人生を通して、雅とはなにか、仏性とはなにかを感じ取った気になれます。……森羅万象(いきとしいけるもの)を曇りない眼で味わうために。
 読後目の前に美しい世界が広がる作品です。

雲晴れて 身にうれへなき 人の身ぞ
さやかに月の かげは見るべき




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