『錦繍』

著者:宮本 輝  発行:新潮社

「うち、あんたの奥さんやった人を好きや」

少々、どころか随分と季節ハズレな本です。これを読んだのは、昨年の秋の終わり頃でした。輝くばかりのユリノキの葉が一晩の雨でほとんど地に落ちてしまい、「これはやばい」と慌てて読みました。
何故やばいか。「錦繍」は秋の本だから、秋の紅葉のうちに読まなければならないからです。母がこの本をとても好きで、「秋は錦繍」と散々言いつづけていたので、とうとう観念して秋に読みました。

ジャンルは純文学。書簡形式と言う懐かしい手法で、とある事件によって離婚した夫婦のその後の人生を描き出してゆきます。

前略
蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて本当に想像すら出来ないことでした。

思いもかけない偶然により前夫と再会した亜紀が、衝動に駆られ手紙をしたためたところから、物語が始まります。亜紀と靖明(前夫)には、手紙を書く前にも、書いてる間にも、その手紙を出した後もちゃんと時間が流れているのでしょうが、読者は手紙の中に流れる時間しか読むことが出来ません。しかし、かえってそれが二人の関係を純化して見ることのように感じます。実際の手紙ではこんな風に書かないだろうし、いちいち二人の知っている事件のことを改めて書かない、とか色々と読んでいる最中に引っかかりはするのですが、そこはそれ、天下御免の「書簡形式」ですから。
宮本輝の作品は4冊くらいしか読んだことがないのですが、その中でこれはNo.1に近いです。短編「幻の光」とその地位を争っています。非常に視覚的で、音楽的で、一気に読まされます。
ダリア園,ドッコ沼,ゴンドラ・リフトという独特のリズムからはじまり、様々な場面展開を行いながらもゆるやかに流れる一つの曲を聴いたような読後感です。また、毒々しく、燃えるような紅色が、ささくれ立った風に晒され、ミモザアカシアに撫でられ、時間と共に風合いを変えて、最後に一斉に輝きわたる金色になるような印象です。

巻き込まれてしまった運命に翻弄されながら、もがき、苦しみ、どれだけそのことに疲れてしまっても、神様は必ずその傍に光を用意してくれている。恐ろしくとぐろを巻く赤も、いつか必ず暖かく降り注ぐ黄金になる。そんな『人間の再生』に素直な感動を与えてくれる一冊です。

なるほど、「秋は錦繍」


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