小さな子供にはペットとおもちゃの区別はつかないのかもしれない。
それどころか、生物と無生物の違いについての知識自体がないのだろう。
『玩具修理者』。まず響きがいいです。何事かが裏にありそうなタイトルです。『玩具修理者』。通常にはない言い回しです。発音の不安定さが更に嫌悪感を刺激します。またしてもえふ様に気になる小説を貸していただきました。感謝感謝!
最近ホラーづいているようですが、これもジャンルはホラーです。第2回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞している作品です(角川に踊らされているような気が……)。
『玩具修理者』と、『酔歩する男』の2本立てですが、なかなかどうして!ホラーの感覚を派手に壊してくれる作品です。読後の酩酊感は強烈なものがあります。
ホラーというのは往々にして、雰囲気重視で説明が足りない(稲垣淳二の怪談話に代表されるような)モノになりやすいのですが、本当に怖い話というのは、過剰な雰囲気だけではないモノだということが分かります。鈴木光司の『リング』原作が映画より怖い、と感じた方には分かってもらえる感覚ではないでしょうか。
この小説には、考え始めると際限ない奈落に落とされる罠が待ち構えています。
「子供たちはおもちゃが壊れると、玩具修理者のところに持っていったわ。新しいものも、古いものも、単純なものも、複雑なものも(中略)壊れたおもちゃならなんでも持っていったわ」 (玩具修理者)
私は絶対あるはずの場所にどうしても行けないことがある。例えば、何度も足を運んだ店なのだが、ある日、その店に行こうとすると、どうしたわけか道がわからない。 (酔歩する男)
どちらの話も日常のちょっとしたことから始まります。何故か昼間いつもサングラスをしている彼女。理由を聞くと、彼女は突然幼い頃いた玩具修理者の話をしだします。また、何故か見つけられない店に飲みに入ったとき、「私を覚えていませんか?」と見ず知らずの男に尋ねられる所から話が始まります。
最初は特におかしな所のない、日常のワンシーンが、恐ろしい奈落への穴となっています。
ホラーとしては少々異質かもしれません。特に『酔歩する男』はシュレディンガーの猫だとか、エントロピーが時間と共に増大するだとか、波動関数が発散したり収束したり、知識のない私はかなり頑張って考えなければなりませんでした。
時間とは?生命とは?意識とは?この小説にあるのは、誰もが1度は通る哲学の奈落なのかもしれません。
今までSFの特権と思われていた登場人物のデスカッションを見事に使いこなしています。SFだのホラーだのというジャンル分けも曖昧なモノです。
日常にSinkするFrighten。それがホラーなのかもしれません。
「生物と無生物なんて区別はないのよ」
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