緒言
何故『窓』で出会った二人は恋に落ちるのか? それは当然そういう『伝説』だからだ。『窓』で出会った二人は悲劇の恋に落ちる運命なのだ。
この伝説は「オルフェウスの窓」の根幹を成すものであるが、あえて私は異論を唱える。伝説につかさどられた運命ごときに人生が左右されるはずはない! ユリウスとクラウスの関係を合理的に説明してみたい! とひねくれ者の私は考えてしまうのだ。
本論では、何故『窓』で出会った二人は恋に落ちるのか、ということに無理矢理科学的な説明をつけてみたい。(したがって、ロマンチックな伝説に心酔している方はブラウザのBACKボタンでお戻り願いたい)
サンプル
作品に登場する『窓』カップル
・クラウス(アレクセイ)&ユリウス ・イザーク&ユリウス
・ヘルマン(エルンスト)&レナーテ ・フランツ&マルヴィーダ
・キーゼル(キース)&フーリエ<外伝>
括弧内はそれぞれ本名であるが、『窓』で出会った時点での名称を以後使用する。
検証
サンプルを並べて一目瞭然であるが、男性側は圧倒的に聖ゼバスチアン音楽学校の生徒である確率が高い(キーゼル以外全員)。これは当然のことで、窓は音楽学校にあるのだし、そこに上れるのは音楽学校(男子校)の生徒である場合が多くなるからだ。さらに掘り下げるならば、『窓』に上った男子生徒達は大抵その『伝説』を知っていると言えよう。
この“『伝説』を知っている”という条件が、恋に落ちるための重要なファクターとなっているのではないだろうか?
検証1:クラウスとイザーク――ユリウスとの出会い――
ここで作品の主人公であるクラウスとイザークにおけるユリウスとの関係を確かめよう。
ユリウスはクラウスとイザークの両方に『窓』で出会っているが、イザークではなくクラウスに恋をする。イザークからの告白に心揺れることはあっても、恋と呼べるほどの熱情ではないように見える。一方クラウスもイザークもユリウスに対して恋心を抱いている。『窓』で出会ったという条件は等しいのに、何故ユリウスの気持ちは二者に均等に注がれないのだろうか?
実はこの2組の出会いには“伝説を知っている”という条件が異なっている。
クラウスもユリウスも“伝説を知っている”状態で『窓』で会っている。しかしイザークとユリウスの場合、イザークは“伝説を知っている”が、ユリウスはイザークからの言葉で『伝説』を知る。
検証2:ヘルマン(ヴィルクリヒ先生)とレナーテ
この二人においてはあくまでも推察でしかないが、レナーテは“伝説を知っていた”と考えられる。ヘルマンと出会った時点ですでにアーレンスマイヤ家の妾であった彼女が、音楽学校の伝説を知っていてもおかしくはない。しかもヘルマンに名前を聞かれ「クリームヒルト」と名乗っているから、レーゲンスブルクに住んでいたのは概ね間違いないだろう。当然ヘルマンは音楽学校の生徒であったから“伝説を知っている”。
検証3:フランツとマルヴィーダ
フランツは“伝説を知っている”が、マルヴィーダは“伝説を知らない”。
検証4:キーゼルとフーリエ
二人とも“伝説を知らない”。
考察
何故“伝説を知っているか否か”が重要なファクターであるか。
第一印象というものが、人間関係で大きな位置を占めることは周知の事実である。更に、第一印象というものは「事前情報」に大きく左右されるものでもある。即ち<『窓』で出会った者同士は恋に落ちる>という事前情報があるのとないのとでは、下にいる女性を見かけたときに抱く印象が全く違うものになるのだ。また、イザークが言っているように、男子校の敷地の中を女性が歩くというのは稀である。すると偶然女性を見かけるという体験は、非常にレアな事として強く印象に残る。
『伝説』の心理作用
“伝説を知って”いながらも窓に上る(運命の女性に出会えるかも、と期待する)
↓
偶然女性が下にいる(驚く。期待があたったことによる高揚を感じる)
↓
“伝説を知っている”ことにより、下にいる女性を見た第一印象は良好となる(もしかしたら彼女が運命の恋人?)
↓
稀な体験であるから良好な印象は長く強く残る(彼女が妙に気になる)
↓
恋をする(やはり彼女が僕の運命の恋人だ!)
検証1の考察
ユリウスが、イザークよりもクラウスをより強く想っていたのは、上記の“『伝説』の心理作用”が働く状態でクラウスと出会ったからではないだろうか。上記の作用は勿論『窓』の上にいる男性のみに働くものでは無い(上と下、男性と女性という言葉を置き換えても成り立つ)。また、ユリウスが女であることを知ってからクラウスとイザークの恋心は急速に成長しているように見える。これは『伝説』に心情が引っ張られているといっても過言ではないだろう。
運命の『窓』カップルになるはずだったイザークとユリウスだが、ユリウスが“伝説を知らなかった”ことによって第一印象のマジックが上手に働かなかったのではないだろうか。
検証2の考察
この2人は言うまでもなく『伝説』の心理作用が働いている。更にこじつけるならば、ベーリンガー家の生き残りであるヘルマンと、日陰の妾生活であるレナーテは共に抑圧された精神状態であろう。そんな時に運命の恋の『伝説』がある『窓』で出会う。現状からの解放を願う彼らが、『恋』に心の平穏を求め、急速に燃え上がらせたとも考えられる。
検証3の考察
この2人の場合、検証1のイザークとユリウスのように、『伝説』の心理作用は片方にしか働かないはずである。よってフランツにしか恋心は起きなかったと考えられる。しかしマルヴィーダは、『伝説』を知る前からフランツの事が忘れられなくてどうしようもなくなっており、説明がつかない。
ただし、マルヴィーダはモーリッツとの一件でも分かる通り、非常に極端な考え方をする女性である。思春期真っ最中の恋に憧れる女の子が、偶然見かけた素敵な男の子(しかも自分を驚いた視線で見つめてくれていた)を忘れられなくなった……と言うのはこじ付けが過ぎる気がするが、ありえないことではないだろう。
検証4の考察
これは全く説明がつかない。「伝説は人間の心理によるものではなく、超自然的な力かも」とくじけそうになる。述べるまでもないが、肉親の“血”が親近感を抱かせた、という説明は非科学的なので却下する(家族とは血縁ではなく環境によって親密になるものである)。
しかし、淡い初恋程度の経験ではあり、悲劇の度合いも軽いという点が検証1〜3とは異なっている。
サンプルには加えていないが、実は作品のなかにもう1組『窓』で出会ったと思しき二人がいる。ヤーコプとユリウスだ。当然彼らは恋に落ちてはいない。ヤーコプは“『伝説』を知っていた”に違いないから、仮に伝説が超自然的な力であったとするならば、精神が退行しているユリウスはともかく、ヤーコプはユリウスを好きになっていなくてはならない。しかしその片鱗すら見えず彼女を殺していることから、彼には『伝説』の魔力は届いていないと判断できる(下にいる彼女を“見なかった”とも考えられるが……)。
結論
本論は『伝説』の解体を試みたものだが、検証3,4より、十分な科学的説明がついたとは言い難い。『伝説』そのものは未だ魔法的な様相を呈してはいるが、『窓』での出会いが第一印象に作用するものであるという見解は、現象の解析の足がかりとなるだろう。
何故『窓』で出会った二人は恋に落ちるか?
『窓』で出会った二人が恋に落ちたという事実が『伝説』を作ったのではなく、恋に落ちるという『伝説』が『窓』で出会った二人を恋へ導いているのではないだろうか?