こども人生相談室



「おっちゃん、危ないやないか!」

 少年は転びそうになって、慌ててつまずかされた足の持ち主を怒鳴りつけた。
「ああ、ごめん、坊や」
 河原の土手に寝転んだまま、青年は眠そうに答えた。クローバーの褥に量産品っぽい黒い三つボタンスーツを横たえ、彼はまた瞼を閉じようとする。
「ちょお待てや、おっちゃん!そんだけかい!」
 少年はもともと愛らしく赤かった頬を更に紅潮させ、口先だけの謝罪を蹴っ飛ばした。ついでに寝転んだ青年の足も蹴っ飛ばそうとしたが、先程つまずいた足に、もう一度自分の足を引っ掛けるのもなんだか癪だったのでそれは我慢した。ところが足元の青年は瞼をあける様子もなく、土手を渡る優しい風に睫毛を揺らし、少年の怒りも風の様に流している。葉陰が僅かに青年の顔にかかり、白に緑の影が映った冷たい肌色を演出した。
「……なぁ。大丈夫?おなかでも痛いんか?」
 と、死人の肌色の青年が俄かに心配になって、少年は荒い声を鎮めた。
「おっちゃん……」
「おっちゃんじゃないよ」
 眼を閉じたまま青年は答えた。
「……」
「おにいちゃんだ」
 宣言するように厳かに、青年は言った。少年は思わず噴き出した。
「ぶふっ!せやかておっちゃんもオトンみたいな格好しとるもん。おっちゃんや」
「おにいちゃんだ。……まぁ、この位の年齢だと皆おっちゃんに見えるかもな」
 まだ若いんだぞ、全く、とブツブツ呟きながら青年はようやく目を開いた。心細げに覗き込んでいた少年と視線が合わさる。少年の肩の向こうから、午後の太陽の欠片が溢れている。青年は眩しさに溜息をついた。
「なあなあ、ホンマに大丈夫なんか?苦しいんとちゃうん?」
 搾り出されたような溜息に少年の心配はまた頭をもたげ始める。
「ああ、大丈夫。大丈夫だよ」
 唇だけで笑顔を作った青年に安心したのか、少年は彼の隣に小さなお尻をすとんと落とした。クローバーがつぶされ、爽やかな匂いが青年の鼻腔をくすぐった。

「なんでこんな所で寝とったん?」
 穏やかな日曜の午後。河原には犬の散歩をするおじいちゃんや、赤ん坊を連れた若いお母さんが遊びに来ていた。ポロシャツを着たお父さんはやけに張りきって、あまり乗り気でない息子とキャッチボールを楽しんでいる。そこはスーツを纏った疲れた青年のいる場所ではないはずだ。
「んー、なんかたるくってね」
 青年はやはり眠そうに答える。
「おっちゃん東京の人ぉ?出張?」
「うん。仕事で出張。難しい言葉知ってるね」
「僕三年生やもん!それっくらい知っとるわ。……仕事やったら、こんな所で寝てんのヤバイんと違う?」
 青年は再び溜息をついた。
「まぁ、時間に縛られてる仕事じゃないし……なんかねー、やる気っていうの?あれがなくてねぇ」
 小学校三年生に何を愚痴っているのか、少し情けない気がしないでもない青年である。しかし太陽は優しく、川面から吹く風は清らかで、緑のシーツは心をほぐしていくのだ。
「仕事、面白くないん?」
「さあ……面白いとか面白くないとかって、考えながらやったことないからなぁ。依頼されたことをただこなしていくだけだからな。そういう感じ、わかる?」
「うーん……公文みたいな感じなんかな」
「そうだね。そう」
 投げ遣り、いい加減、放ったらかし。それを全部合わせて厭世観で包んだような口調だった。ただ眠いだけなのかもしれないが。
「でも仕事やから頑張らんとダメなんやろ。しんどいなぁ」
「ああ、しんどいね。しんどいなんて考えることもないんだけどね」
 少年は、なんとかこの目の前のおじさんを助けたいと思った。オトンもいつもしんどいしんどい言うてるけど、しんどいのも分からんようになるくらい、このおっちゃんはしんどいんや。
「でも、なんかいいことあるやろ!」
「……いや。あんまり良い仕事でもないよ。むしろ迷惑かもな……俺の仕事なんて」
「先生がいっつも言うとるんやけどな、大変なことこそ偉いんやって。せやら僕、トイレ掃除当番も真面目にやってるんやで。おっちゃんの仕事も偉いんやって」
「そっかな。俺の仕事なんて、なんの価値もないんだけどねー」
「それはちゃうやろ。どんな仕事も大事なもんや。しょくぎょうにきせんはない、ってなんやよう分からんけどオカンが言うとった。あんな、どんな仕事も皆偉いんやってこと」
「でも、人に迷惑かけてるんだよ?それでも偉い?」
「そうや。偉いんや。あんな、僕、ピーマン大っ嫌いやねん。ピーマン食べるたんびに吐きそうになんねん。でもな、ピーマンてすごい栄養があって、あんなに僕に迷惑かけてんのに、僕を健康にしてくれるんやて。おっちゃんの仕事はピーマンなんや!きっと」
 青年はようやく土手から起き上がった。彼の目にうつったのは、眼下に流れる水面の宝石のような輝きだった。
「……確かに、迷惑をかけた人と同じ分だけ喜んでる人はいるな」
 口の中で呟いた言葉は、少年に届いただろうか?青年が隣を見ると、大きな黒目がちの瞳と真っ直ぐにぶつかった。少年は、ずっと青年を見つめ続けていたのだ。
 青年は微笑みを浮かべ
「頑張ってみようかな」
 と言った。その言葉に縦縞の野球帽が嬉しそうに上下した。

 青年は立ち上がり、大きく背伸びをした。そして、すいっと傍らに置いてあった物を手に取った。
「なに、それ?」
「ああ、商売道具だよ」
 少年は眉をしかめ首を傾げた。商売道具は木製のバットだった。頭の部分にいがいがと釘が打ちこまれていて、中には変に錆びて折れ曲がっている釘もあった。
「……おっちゃん何屋さん?」
「おにいちゃんだよ」
 青年は優しく少年の頭を撫でて河原から立ち去った。



 少年はまだ知らない。その晩大事なオトンが誰かにボコられて帰ってくることを。




キリ番取得3連荘ありがとー!ご依頼の件、遂行致しました。
……なんだかな。情けない「釘バット男」になっちゃったな。
タイトルもなんかもういっぱいいっぱいで。
うがぁ。ご期待に添えていない気がする!あなたの望む
「釘バット男」になってない気がする!許して、joh様!

キリ番ゲッターのjoh様に捧ぐ!

joh様のHPへ→GO!



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