本屋はワンダーランドだ。ここにいれば半日くらい平気で潰せる。
 俺とミヤが市内で一番大きい本屋に入ってかれこれ三時間くらい経っている。店内の照明に眩まされていたが、もう自動ドアの二枚向こう側は紫色の宵闇が広がっていた。
「おい、ミヤ。そろそろ行こか」
「ん、そうだね」
 文庫本のコーナーにつかまっていたミヤに声をかける。俺は小脇に一本のビデオを抱えていた。この本屋はレンタルCD、ビデオも扱っている、よくある大型書店なのだ。その分本の品揃えは流行を追いがちで、俺好みのマイナー作家のハードカヴァーが置いていなくていつも苦々しい思いをしている。ミヤは新刊マンガの立ち読みがOKだから、ここが結構お気に入りらしいが。俺としては実家近くのこじんまりとした晴明堂書店が懐かしくなるって所だな。
「借りたぞ。これでいいよな?」
「うん、それそれ。ようやく観れるよ〜」
 俺の持っているビデオは『2001年宇宙の旅』。本日は俺のアパートで“2001年に『2001年宇宙の旅』を観る会”を開催するのだ。会と言ってもミヤと俺がだらだら酒を飲みながらビデオを観るだけなのだが。
「お前実家にこのビデオがあるって前言ってなかったけか?」
「あるよ。字幕スーパーと字幕無し英語版の二つとも」
 ……じゃあなんでわざわざレンタルしてまで観ようなんて言い出すんだ? ミヤは手に取っていた高談社の本を開き置きの場に戻した。戻しながらも物色の視線は今だ書棚に向いている。俺の怪訝な顔など目に入っていないようだ。
「なあ、なんで……」
「寝ちゃうんだよ」
 とミヤは俺の問い掛けを遮って答えた。
「だからさ、小学生の頃から英語版ばっかり見てるんだよ。分かるわけ無いだろ? 小学生なんだから。寝ちゃうんだよね。いっつも同じ所で」
 なるほどね。ということはこいつはオープニングの猿のシーンしか知らないんだな。なにしろ猿のシーンは英語が――猿語はあるが――出てこない。

「と言うわけで、月に行った辺りで僕は寝る可能性大だから、カネイはちゃんと起きててね」
「大学生になってまで寝んなよ」
 俺はビデオの入った真っ青な袋でミヤにツッコミを入れた。わざとらしく腹を押さえるミヤ。衝撃吸収材の袋がそんなに痛いはず無いだろ。本の谷間を笑いながら歩いていたが、俺は新刊ハードカヴァーの棚で立ち止まった。……やっぱりエーゲノルフの新刊は置いてない。
「流通も科学技術も発達して、実際に宇宙旅行に行く人間が出てきているご時世なのに、なんでエーゲノルフの新刊が回ってこないんだ!」
 俺が義憤に駆られて言うと
「そりゃあエーゲノルフが宇宙旅行に行けるほど稼いでないからでしょう」
 と、ばっつりミヤに斬られた。
「二十四兆円だっけ? こないだ宇宙に行った人の総資産」
「もっと多くなかったか? 日本国よりお金持ちってワイドショーがわめいてたぞ。長年の夢を叶えた男のロマンより、そいつが作り上げた金のほうが取り沙汰されるんだ」
「他人の懐具合が気になるんだよ。高額納税者の発表だって三日くらい引っ張るじゃん」
「おうよ。あのランキングに載らんからって、エーゲノルフが本屋に置かれないのは釈然としない! 壮大な宇宙に比べて、地上はかくも金まみれや」
 俺の歎きはここの店員に届くだろうか。数メートル先のカウンターの内側にいるストライプシャツを見遣りながら、俺は大げさに首を振った。――この際エーゲノルフが日本人ではなく、当然高額納税者発表に載らないということは無視する――
 諦めきれず棚の前で手をさ迷わせていると、ミヤが端の方から一冊の本を引き出した。お、クラークの『天国の泉』か。なんだ、ここも意外と正統派の本を置いているな、と感心したところ、ミヤは手触りの良さそうな装丁を裏、表、とひらひらかえしながら深刻そうな溜息をついた。
「……地上はかくも。かぁ」
 突然なんだ?

「カネイ。天と地とはどっちが汚れていると思う?」

 『天国の泉』をめくりながらミヤは軽く呟いた。なんだイキナリ。
「天と地ィ? やっぱ地上やろ」
 天国、という言葉だって天だろ?
「ふふん、ストレートな答だね」
 さっきの溜息とは裏腹に、ミヤはなんと鼻で笑いながら俺の答を受け流した。いや、確かにひねりのない答だと自分でも思うが。
「長者番付だとか、ゲーノー人の不倫がどうとか、地上はかくも喧騒にまみれている! となれば完全なる真空を持ち、音すら冴え冴えと吸いこまれる天空はそれこそ『楽園の門』というべきだと思わんかね、ミヤ君」
「微妙に格調高い言葉使いだけど、最初の例がワイドショーじゃ台無しだよ、カネイ」
「ワイドショーというところに突っ込まんと、クラークのタイトルであわせたネタを受け止めろよ」
 ネタの飛ばしがいのない奴め。まぁ、ともかくもうちょっとひねった答を求められとるわけやな。暫し沈思黙考。
「地上には酸素がある。酸素というのは、地上の初期の生物にとっては有害だった。有毒ガス酸素のある地上は天空に比べれば汚れている。こういうのどうだ?」
 軽く首を横に振るミヤ。
「答を『天』にシフトしてみなって」
「……どう考えても地上の方が汚れとるやろ。人間は多いし、機械も多いし、戦争だって起こる。なにしろエーゲノルフが大型本屋に置いてないほど不幸に満ちてるぞ!」
 ミヤは罪のない笑顔を浮かべ、楽しそうにクラークの本をめくっている。答を天にしてみろぉ? ……ええい、耳の上を滑るハードロックがうるさい。大体においてBGMのうるさい本屋は程度が悪いと相場が決まっているんだ。
「こんなにうるさかったら考えがまとまらん」
「降参?」
  ミヤは微笑の形をとっていた口角を更に持ち上げた。
「降参なんかするか。ちょっと待てよ……。ウーン……そうやなぁ……地上から見上げた天は、えらい高くて雲がなびいたり星が光ったりして大層美しく見える。ゴミゴミしたこことはえらい違いやろ。しくゎーし! 実際の空は粉塵やら微粒子やらが飛んどるし、宇宙も人工衛星の残骸やら隕石やらのデブリで一杯なんよ!」
 何しろ地球は青かったらしいし。
「ちゅーことで、天のほうが汚れとる、とも言える」
 その答を聞いて、ミヤはようやくページから顔を上げて俺を見た。どうだ? このひねりは、と胸を張った俺を見遣り、奴はにんまり――なんたる無邪気な邪悪さだ―― 笑って本を閉じた。そこで一言。

「天と地だと、天の方にどうしてもホコリが溜まっちゃうんだよねー」

 満面の笑みでミヤは本の頭の部分をつついた。本の上の部分は「天」。下の部分は「地」。……おい、コラ、ひねり方にも程があるぞ! ていうかお前のあの最初の溜息は、もしかして本に積もったホコリを吹き飛ばすためか!? この本屋大丈夫かよ。上にホコリが溜まるような本を新刊コーナーに置いたままにするな。
 ミヤはしてやったりとばかりに目を細める。眼ぇなくなるほど嬉しそうにすんな! くそー、なにが天と地よ! お前なんか古本の腹(背表紙の反対側。ページの部分)と一緒じゃ! 手垢がついて腹黒い!
「え? なんだって?」
「いや、なんでもない。とりあえず今日は、お前がビデオ観ながら寝ても起こさないことにしようと心に決めただけ」
「ええっ! それはなし! 頼む、起こして!」

 焦るミヤを放っておいて、俺は自動ドアを抜けた。
 すっかり紫が遠のいた空に、ちかちかと明滅しながら人工衛星が流れていく。
 ……天よ。地上の我が友人はかくも汚れている。



 

キリ番常連、大量ゲッターの田嶋屋様、お待たせしました。
もっとBIGな物をお贈りしたいと思っていましたが……
結局ミヤとカネイのなぞなぞ話になっちゃいました(^^;
ごーめーんーなーさぁーい!!

切り番ゲッターの本屋さん、田嶋屋様に捧ぐ!!

田嶋屋様のHPへ

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