It's our secret love
Please wisper to me,baby
Your only love song ……



「ねえ、今の聞いてた?」

 鶏がら出汁にさっぱり塩味が美味いと評判の“らーめん花井”はそろそろ終電という時間にも関わらず満員御礼だった。
「は?聞いてたって、何を?」
 御礼の一端を担っている僕らは、店内の騒音デシベルを上げることにも一役買っている。パリパリの揚げ餃子をつまんでビールをいとも簡単に飲み干した三嶋先輩は、社内より2目盛りほど大きな声で聞き返した。
「今テレビでやってたCM!ホラ、真っ赤なドレスに網タイの女の人の足元がスニーカーでさ」
 松木先輩の音量は社内と変わっていない。変える必要がないからだ。
「ああ、トヨダのエスペランサですか?」
「そうそう!それよ!」
 びしっと僕に人差し指を付きつけ、松木先輩はいつもと同じ音量で反応した。ちょっとばかり耳に響く。考えてみると、飲み屋と会社での声の大きさが変わらないというのはすごいことなのかもしれない。
「で?エスペランサとマヌエラ・クルーズがどうした?」
 再び揚げ餃子を口に放りこんで三嶋先輩が尋ねる。まぬえら?
「出てた女優の名前」
「良く知ってますねぇ」
「前に見た映画に脇役で出てたんだ」
 それにしても良く知ってますね、と感心してしまう。僕なんか時々エンディングロールを見ないで席を立つこともあるのに。
「ちょっと、マヌエラなんとかはどうだっていいのよ!今のCM見てたってことね?」
「ん、一応。あ、スイマセンお冷もう一杯」
「あ、私も」
 暫し会話中断。僕はさりげなく手酌でビンビールを自分のコップに注ぎ足した。空になっているとまた両先輩から注がれてしまう。
 店員さんが僕らのテーブルを離れると、松木先輩は一口水を飲んで話題を再開した。
「さっきのさ、車の話なんだけど」
「はいはい。ちゃんと見てたぞ」
「あのCMに使われている曲知ってる?」
 どうやらこれが本題らしい。残念ながら僕は知らない。アップテンポだが男性ボーカルの声が深く滑らかで、ロマンチックな感じがする曲だ。なるほど、松木先輩はああいう曲が好きなのか。
「いっとくが、アタシは今日初めてあのCMを見たんだぞ」
「大丈夫よ。目ぇいいじゃん」
 ……目がいいって。一体それはどういう理論ですか。
「私この距離じゃテレビ見えないし。てゆーか眼鏡かけてないから画面そのものが見えないし」
 そう言いながら彼女はシャツジャケットの胸ポケットを軽く叩いた。ドンブリの湯気で曇るから、と外された眼鏡がその中に納まっている。
「でも、ああいうCMのクレジットって端っこで、おまけに小さいじゃないですか」
 最後のチャーシューを拾って麺と一緒に頬張る。じんわりにじむ脂にコクがあって、半端じゃなく美味い。
「だからよ。新人の君は知らないだろうけど、こいつすっごく眼も記憶力もいいのよ」
 そういうもんだろうか。いや、目が良いにも限度がある。第一CMに出る曲名だとかアーティスト名なんて見えたとしても一瞬だ。ところが。

「言わない」

 と三嶋先輩は唇の端を最高まで持ち上げて笑った。人の悪い笑顔、の見本みたいな顔だ。
「ええー。教えてよぉ」
「ふっふっふ、教えて欲しいか?」
「うん!」
 松木先輩は勢い良く胸の前で手を組んだ。ぱんっと掌が鳴る音がした。
「誰にも言えないんだな、これが」
 ビールのコップを傾けながら、三嶋先輩は楽しそうに鼻歌を始める。件のCMの曲だ。僕は少しぬるくなり始めたビンを持って
「気になりますよ。教えてくださいよ」
 と三嶋先輩のコップに注ぎ足した。袖の下効果は発揮されるだろうか。
「だから、言わないって」
 袖の下作戦失敗。三嶋先輩はますます楽しそうだ。
「こいつはぁ、ホントにいい性格してるよね!」
 松木先輩は逆に機嫌が悪そうだ。なみなみ入っていたビールを一気に呷っている。いい性格だろう?なんて親切、と三嶋先輩は嘯いている。
「知っている歌だったんですか?」
「いや。初めて見た」
 気になる。曲名よりも初めて見たCMの小さな小さな文字をこの距離から見えたことが気になる。貴方はどこの国の人ですか。
「ヒ・ン・ト!」
「ヒント?誰にも言わないって言ってるだろう」
 やばいやばい。松木先輩の目が据わってきている。
「言わないって、なんかその曲に思い出でもあるわけぇ?」
「今初めて見たんだって。思い出なんかあるわけないだろう」
「じゃあ、ここでは言えないようなタイトルなの?」
「違うな。誰にも言えない、タイトルだ」
 ここでは言えない誰にも言えないタイトルってどんなタイトルですか、と脳の中でこっそり突っ込んでみる。公序良俗に反するような歌でもあるまいし。
 僕はCMを思い出そうとする、が、なかなか歌詞が思い出せない。
「どんな歌詞でしたっけ?」
 三嶋先輩は鼻歌を声に切り替えてくれた。
「It's our secret love.Please wisper to me,baby.Your only love song.Don’t sing anyone,your sweet voice.Baby,please keep our secret love. Baby, don't tell anyone……」
 普通のラヴソング、ラーメン屋でも堂々と歌える曲だ。
「ありがちな歌ですねぇ。“Can’t stop loving you”とか“Love makes the world go round”とか、そんなタイトルがついてそうな」
「どっちもハズレ。にしても新入社員君、レアな曲知ってるな」
 レンゲから音も立てずにスープを流しこむ三嶋先輩は、未だに僕を新入社員君と呼ぶ。覚えられていないのではないだろうか?1ヶ月たっても名前で呼ばれなかったらどうしよう。
「歌手名だけでもいいから教えてよ!」
 焦れた松木先輩がテーブルを叩いて足を鳴らした。コンクリートの床にヒールがカチカチ響く。
「うーん、名前は良いって言ってるのかね?」

 え?

 背後のテレビから鼻歌と同じ音楽が流れてきた。僕は腰を思いっきり捻って画面を食い入る様に見つめた。真紅のドレスを着た女性が、男性の手で助手席にエスコートされる。それを断る女性。そして彼女の足元のアップ。
 その踵の辺りに白い文字が映った!
 が、あっという間に消える。スニーカーを履いた彼女は、自ら運転席に乗り込んで、軽やかに発進させる。そして取り残される男性。―― 貴女の望む走りを。エスペランサ ―― とキャッチコピーが入って終了。結局タイトルは見えなかった。
「見えた!?」
「い、いえ。DとかTっていう文字は見えたんですけど……」
「あぁ〜ん、残念!」
 悔しがる僕らを眺めて、勝ち誇った様に顎を上げる三嶋先輩。なんだか、チキンレースをする猫みたいだ。わざわざ自動車の前を横切って、急ブレーキをかける人間を余裕の表情で眺める猫を目撃したことがある。そう、あんな感じ。変に不自然な猫。
 ……そういえば

「そういえば、さっきなんておっしゃいました?」
「ん?」
 三嶋先輩は最後の揚げ餃子を味わっていた。ゆっくり噛み締めて飲みこむと、もう一度
「ん?」
と小首をかしげた。
「CMの前になんておっしゃってましたっけ?」
 何かが引っかかっていた。変に不自然な言葉だった気がする。
「名前がどうとか……」
 ああ、と三嶋先輩は頷いた。

「名前は良いって言ってるのかね?」

 そう、それだ。名前は良いと言っているって、誰が?名前以外はダメということか?
 誰が何をダメだって言っている?
 僕は頭の中でCMを再生する。画面の中の美男美女に台詞はない。
 誰が何をダメだって言っている?

 It's our secret love.Baby,please……

「あ、そうか」
 三嶋先輩は自分で言ったとおり“親切”なのだ。
 これは秘密の恋。私だけに囁いて、君のたった1つのラヴソングを。誰にも歌わないで、君の甘やかな声で。どうかこの秘密の恋を守って。どうか……
「誰にも言わないで、なんだ」
 僕の呟きに、三嶋先輩は眉を上げ、松木先輩は眉を顰めた。
「なになに、何なのよ」
「えっと、耳元で囁いた方がいいですか?」

 三嶋先輩は膝を打って豪快に笑い出した。
「よくぞ辿りついた!偉い!」
 はぁ、どうも、と肩を縮込める。快活な勢いに押されてしまったのだ。珍獣と出会ったような表情で、松木先輩は隣の破顔を見つめている。三嶋先輩が弾けたように笑うのは、珍しいことなのだろうか。
 暫く三嶋先輩は笑い続け、僕は恐縮しながらコップのビールを半分くらいに減らした。
「ねぇ、ちょっと。一体どういうこと?」
 僕と三嶋先輩を交互に眺めていた松木先輩が、痺れを切らして尋ねてきた。
「だからアタシはずっと言っているだろ。誰にも言わないって」
「それが何!」
「ですから、それがタイトルなんです」
「はぁ?」
「誰にも言わない、っていうのが多分タイトルなんですよ」
 CMで喋っているのは歌手だけなのだ。いや、この場合歌っているというべきか。だから三嶋先輩の「名前は良いと言っている」のはその歌手の台詞を指しているのだろう。誰が何をダメだと言っているのか。

 歌手が、『誰にも言ってはダメ』だと言っているのだ。

 三嶋先輩は「タイトルは誰にも言わない」と言い続けていた。歌の中にタイトルが出てくるのはよくあることだから、そこから考えると、つまりそのまんま「タイトルは、“ダレニモイワナイ”」なのだ。
 満足げに三嶋先輩は何度も頷く。
「よくわかったな、新入社員君。いや、宮君、よくやった。まぁ飲め」
 と、もうほとんど泡の立たないビールを注がれる。やっと名前で呼ばれた。どうやら覚えてもらっていたらしい。

「Mitchy Rowlin の“Don't tell anyone”だ」

 自分のコップにもビールを注いで、三嶋先輩はいとも簡単に飲み干した。あの一瞬の文字を記憶できるなんて、全くどこの国の人なんだろう。
 後ろの天井近くにあるテレビから、またあのCMが流れ始めた。




Baby, please.
Please keep our secret love.


Baby, don't tell anyone.




2800HIT感謝!のお品なんですがぁ……。
もう、ミッチーのツアータイトルにやられまくり。
お仕舞い姉妹。今までで一番苦労したわよこのテーマ!

キリ番ゲッターのsummer様に捧ぐ!
summer様のHPへ →GO!



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