◆フラメンコの歴史◆


 15世紀の中ごろスペインの南部、アンダルシア地方に住みだした古くはインド北西部に発祥の地を持つ放浪の民、ジプシー。この放浪の民ジプシーが、アンダルシアに伝わった舞踊音楽を彼ら流に作り上げたもの、または彼らの影響の下に演唱され始めたものが、フラメンコです。スペイン各地にはいろんな舞踊がありますが、フラメンコとは、特に南部アンダルシア地方で、ジプシーの関与したものをいいます。
 スペインでも一番南方のアンダルシア地方は、地理的な特色もあって古代都市がさかえ、古くからさまざまな地域との公益が盛んな土地であり、このためアンダルシアの音楽は、インド、アラブ、ユダヤ、ギリシャ、アスティーリャ等の音楽文化影響を受け、非常にエキゾチックな魅力を放つものでした。アンダルシアへやってきた一部のジプシーの民が自らの音楽とアンダルシア土着の音楽をミックスして作り上げたものが、今日のスタイルに一番近いフラメンコだといわれています。

 スペインではジプシーのことをヒターノ(gitano,女性形はヒターナgitana)と呼びます。彼らの生業は主に馬の売買人、鍛冶屋、占い師、細工物工等で、歌や踊りで金を稼ぐものも少なからず存在しましたが、泥棒や山賊、乞食も多く、定住を嫌い、ほかの民族との混血を避けオリジナルな因習を守るヒターノは、社会から忌み嫌われる者でした。16世紀から18世紀の長きにわたって迫害の歴史は続き、ヒターノは民族としてのアイデンティティ(放浪生活やジプシー言語カロcalo)をすべて否定され、政府のスペイン人への同化政策のもと、「ヒターノ移住地」に定住を強いられるようになりました。18世紀ごろになると社会から虐げられたヒターノの嘆きや叫びが、歌(カンテcante)に表現され、カンテ・フラメンコ(cante flamenco)が生まれたました。

 フラメンコの激しい踊りは、数々の困難、迫害を受けたジプシーたちの悲しい、苦しい思いが込められています。フラメンコの歌には、厳しい旅を続けてきたジプシーたちの生活、喜怒哀楽、そして長い、苦しい歴史と人生が刻まれているのです。このため、カンテと呼ばれる歌こそがフラメンコの重要な柱となっているのです。




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